プロローグ−2
その父は、禁忌を冒した。魔術師が最も行ってはならない、タブー中のタブー。
それは、死者の蘇生だった。
父は、魔術師ではない一般女性と恋に落ちて結婚したが、この妻が唯斗を出産した際に命を落としてしまった。一般人だったが魔術回路は持っていたために、唯斗の魔力量の大きさに自身の回路が反発を起こし、それに耐え切れなかったのだ。
そうして悲嘆にくれた父がとった行動は、死者を召喚し受肉させることで甦らせる禁断の召喚術を実行することだった。
亡者を現世に呼び出すことは、実は不可能なことではない。古くより、莫大な魔力の塊でありどんな願いでも叶える願望機として「聖杯」が生み出され、それをめぐって魔術師たちが戦う「聖杯戦争」というものが存在した。この仕組みを実現したのは日本の地方都市・冬木市の魔術師だとされる。
父は聖杯戦争を転用したシステムの開発に携わることで魔術式をコピーして持ち出し、日本の墓地に眠る母の遺骨を触媒に、息子である唯斗の魔力を用いて召喚術を実行した。
本来、聖杯戦争で召喚されるのは「英霊」と言われる者たちだ。地球上に実在した偉人や、伝承などで語られる伝説的人物、さらには神話に出てくる神霊や有名な物語の登場人物など、人類の共通認識となったあらゆる類の人物を意味する。これらの人物は、人類の営みの中で共通認識として地球上に情報として存在する。この情報を具現化するのが聖杯戦争で行われる極めて高度な召喚術だった。
呼び出された英霊は「サーヴァント」と呼称され使役され、魔術師とともに聖杯戦争を戦う。勝利した暁には聖杯に願いを叶えてもらえるのだ。
あくまで英霊は「英霊の座」と呼ばれる場所に存在し、その座から影のように一部分を現世に顕現させる。つまり、いくら実在したとはいえ、ただの一般人を甦らせるなどできるはずもない。
2010年、当時小学校5年生だった唯斗は、日本の雨宮家の屋敷にて、床に描かれた魔術式の上で血を流して倒れていた。生まれてからしばらくはフランスのグロスヴァレ家の邸宅にいたが、8歳のときに突然この純和風の屋敷に連れてこられ、強引に日本の小学校2年生として日本語もままならない中で学校に押し込められた。研究に没頭する父との二人暮らしは事実上の一人暮らしのようなもので、しばらく劣悪な暮らしをしたあと、ついに生贄として包丁で切り付けられたのである。
魔法円に流れる自分の血液をぼんやりと眺めながら召喚術を行う父の声を聞く時間は永遠のようで、一瞬だった。
直後、眩い光とともに現れた、背の高い金髪の青年。美しい顔立ちは小学生の唯斗にも分かる高貴さを兼ね備え、一目で英霊だと分かった。聖杯戦争でもないのにサーヴァントを召喚したとでも言うのだろうか。しかし聖杯戦争は聖杯の力あっての召喚であり、通常は英霊の召喚など個人では不可能だ。というより、人間だけではまず不可能である。
「私はアーサー・ペンドラゴン。転移に際してどうやら召喚術に巻き込まれてしまったようだが…これはどういうことだろうか」
アーサー・ペンドラゴン、ヨーロッパに暮らす者なら、とりわけ唯斗が暮らしていたブルターニュ地域圏の住民なら知らない者はいない。アーサー王伝説として知られる、伝説的なブリテン王だ。もちろん、英霊として最上級のクラスである。
小学生とはいえ名門の嫡子、唯斗は幼いながらに召喚術には知識があり、その子供の知識であっても今起きている事態がとんでもないことだと理解していた。
そのアーサーは血を流す唯斗を見て眉をひそめ、跪いて唯斗を優しく抱き上げた。ぐったりとする体は言うことを聞かず、初めてこんなにも人と近い距離になって、初めて「抱き締められる感覚」を知った唯斗は、ただ驚いてアーサーを見上げるほかなかった。
「…かわいそうに、まだこんなに幼いというのに…」
「な、なんで普通の英霊が呼び出されたんだ、聖杯戦争でもないのに…?!妻は、妻はどこだ!!」
半狂乱で叫ぶ父にちらりとも視線をやらず、アーサーは出血する唯斗の右腕を見て痛ましそうにする。
「…あの男は君の父親だね」
こくりと頷くと、アーサーは唯斗をいったん床に寝かせる。そして唯斗の血がついた包丁を持って暴れ始めた父を、アーサーは簡単にねじ伏せた。床に倒れた父は呻いて動きを止める。
「……すまない、彼はもうだめだ。僕がここに来たのは彼の召喚に巻き込まれただけだが、いずれにせよ召喚術を成功させてしまったこと、そして僕の現界の動力となっていることによって、彼の魔力はじきに枯渇する。すぐに死に至るだろう」
「…もう、いい……」
正直どうでもよかった。生きたい理由もないし、死にたくない理由もない。父が死に至ることに驚きもなかった。アーサーはそれを聞いてまた痛ましそうにしたが、横たわる唯斗の頭を撫でた。それも初めてのことで、唯斗はキョトンとアーサーを見上げる。
「大丈夫、僕が守るよ」
そう言ってアーサーは慣れたように携帯電話で救急車を呼び始めた。英霊の座は召喚に際してその時代の知識を英霊に与えると言われているが、119番通報の知識も与えているということだろうか。
そんなことも、今では確かめようがない。一通りの処置を行ったアーサーは父親が事切れるのと同時に現界できなくなり、現世から退去していった。唯斗を助け切ることができなかったことが心残りだったのだろう、最後まで心配そうに唯斗を見下ろしていたのを覚えている。
この記憶だけが、唯斗の人生にとって唯一の幸福な時間だったのかもしれない。