長編番外編−計算能力の方が問題
第五特異点後のどこか
フランス語に絶望する立香と主
「ねぇ〜唯斗〜」
「…なんだ、立香」
食堂で昼食を取っていると、あざとい声で立香が唯斗を呼んできた。
何かと思いながら、隣に座った立香を見遣る。
「あのさ、ちょっとフランス語のことで教えてほしくて」
「フランス語?勉強してんの」
「そう、せっかくこんな多国籍のところにいるならって」
どうやら立香は外国語の勉強をしたいらしく、フランス語に手を出したらしい。それにしてもなんで日本語との相性が良くないフランス語なのだろうか、と思って聞いてみる。
「なんでフランス語なんだ?」
「だって唯斗ともっと話せるかなって」
「……そう言えば俺が快く教えると思ってのやつか?」
「ひど、本心に決まってんじゃん!そんで一緒にフランス行こうよ」
ね、お願い、と頼んでくる立香は、実に人にものを頼むのが上手いと思う。
唯斗はため息をつきつつ、そんな立香の言葉を嬉しく思ってしまう自分もいて、最初から負け戦だと気づいた。
そうして、そのまま食堂で立香が持ってきたテキストを見ながら、分からないという点に答えていくことにした。
英語はそれなりにできるらしく、英単語と似ているフランス語の単語はそこそこ覚えており、思ったよりもちゃんと勉強しているのだと分かった。
「でもさ、フランス語の数の数え方、ちょっと変じゃない?咄嗟に出てこないんだけど」
「あぁ…世界の主要言語は、数詞の数え方を10進法にしていることが多いんだけど、一部の言語では20進法なんだ」
10を一つの単位として、10数えたら1に戻るという形を10進法という。世界の大半の言語がこの形にあたる。そして一部の言語は20進法、20を一つの単位とする。
例えば英語で98はNinety Eight、つまり90+8であり、ドイツ語やロシア語などもこの形式となる。
日本語、韓国語、中国語では、九十八と書く。これはつまり、(9×10)+8という意味だ。このように20以上の数字は10をかけていき、1の位を加算する。これは数え方として、他の言語と比べると少し難しい部類に入る。
そしてフランス語は、Quatre-vingt-dix-huit と発音し、(4×20)+10+8という数え方になり、とんでもなく複雑になる。
「69までは英語と同じだったじゃん?どうしちゃったの70から」
「60の代までは10進法、70からは20進法っていう世界でも珍しい形だな。20進法が残存している主要言語はフランス語だけだ。実は20進法はケルト人の数え方で、フランスにケルト人が暮らしていたところにフランク族が入ってきたとき、フランク族自身のゲルマン系の言葉とローマ帝国のラテン語、そんで土着のケルト語が加わって複雑なフランス語が構成されてく中で、数え方はケルトの影響を受けたことが背景にある」
70から複雑な数え方になる理由、それは、かつてケルト系の言語では20進法を採用していた名残で、ラテン系のフランス語が成立してからも数え方にはケルトの概念が残ってしまったからだ。
その後、民衆の間では英語や日本語と同じ10進法による数え方が普及するが、フランス語の近代化に際して、フランス語の統一基準を制定する国家機関によって、日常生活で使う69までは10進法で、70からは伝統的なフランス語の数え方である20進法に戻すこととなる。
「本来なら古き良き20進法に戻したかったところ、現実の生活を混乱させるわけにもいかなくて、仕方なく普段使わない数字から先だけを20進法にしたっていう経緯だな」
「めちゃくちゃすぎる…」
そのため、フランスの70以上からは言いたい数字に対して、20を使って10の位を作ってから1の位を足し算する(90を言うためには20×4で80を作ってから足し算をする)が、この方法は他のケルト系の言語にも残っている。ウェールズ語、スコットランド=ゲール語などがそれにあたる。
また、アングロサクソン系は1の位を先に言っていたため、オランダ語やデンマーク語、ドイツ語などもともとアングロサクソンがいた地域では今も「8+90」というように1の位を先に述べる。英語ではこの数え方は消失した。
「あ、ちょうどいいところに。アンデルセン、」
そこで唯斗は、たまたま近くを通りかかったアンデルセンに声をかけた。面倒そうなのを隠しもせずにアンデルセンはこちらにやってくる。
「なんだ、人が息抜きにコーヒーでも楽しもうとしていた矢先に締め切りを告げる編集のようなことをして」
「ちょっと98ってデンマーク語で言ってみて欲しいんだけど」
「Otteoghalvfems、これでいいか」
「え、なんて」
ぽかんとする立香に、アンデルセンは唯斗の意図を察したのか、ニヤリとした。
「ちなみに今のは8+(1/2×20)+(4×20)という意味だ」
「…???」
立香の背後に宇宙が見える。
デンマーク語では10進法で数える部分が存在しないため、20を使う方法以外で計算できず、たとえば90であれば4×20で80を作ってから1/2×20で10を作りこれを足さなければならない。
20の倍数では綺麗に計算できるが、20の倍数だと10の位が足りないときに、20の半分という言い方をして10を作るということだ。
「なんてそんなひどいことするの…?」
「まぁ、言語ってのは、その言語を使っていた文明のピーク時の形が固定化されるからな。デンマークのピークは中世前半だから、その時代の形がずっと残ってるんだ。スウェーデンやノルウェーは近代に入ってからピークを迎える。近代は軍の規模が大きくなって、数える数字も大きくなるから、20進法みたいな非合理的な数え方は廃れたんだろ」
「なるほど…じゃあ、クー・フーリンたちも、ベオウルフも、メイヴちゃんも、20進法だったってこと?」
「そうなるな。それに比べたらマシだろ?」
「確かに」
納得した立香につまらなさそうにしてアンデルセンはコーヒーを頼みに行った。
ちなみにその後、立香は「なんで発音同じなのに綴り違うの?」と泣きついてくることになる。