長編番外編−牙は隠すもの
第五特異点後のどこか
隙を狙うキャスターとセコムッド
適当に人気のないラウンジで休んでいるときだった。
何をするでもなく、持ってきていた本もテーブルに置いたままになっている状態で椅子にだらりと座っていると、視界の端に動くものが見えた。
何かと思って目線をやると、思わぬ存在に動きが止まる。
「……え、犬?いや、狼か?」
思わず独り言を言ってしまった。
その声に気付いたのかなんなのか、廊下の一部のような小さなラウンジに、とことこと真っ白な大型犬サイズの狼がやってきた。
しかし狼というには穏やかな顔をしている。
そういえば、柴犬とシベリアンハスキーだと、柴犬の方が狼の遺伝子が濃いという。
こちらにやってきた狼の真っ白な毛並みはモフモフとしており、撫でたくなる誘惑が沸き上がる。
今なら誰も見てないし、この狼も随分人に慣れているというか、こちらに危害を加えるつもりのまったくなさそうな無害な顔をしているため、行けるだろうか。
だが思えば、このカルデアにペットなどはいなかった。感じる魔力からしても、恐らくこれはサーヴァントに付帯する生物だ。
立香のサーヴァントの誰かが連れている存在のはずで、それなら知能は高いはず。
「…どうした、こんなところに」
そう声をかけてみると、わふ、と一回だけ鳴いて唯斗の足元までやってきた。そこでちょこんとお座りの姿勢になった行儀のよさに感心する。
「……触ってもいいか?」
それに対して、がふ、とまた柔らかく鳴いたことで、了承ととった唯斗は、いったん椅子から降りて狼の首あたりをそっと撫でてみた。
予想より遥かに手が毛並みの中に沈んでいき、そのモフモフっぷりに思わず「うお」と声が出る。
両手でわしゃわしゃと撫でてみると、気に入ってくれたのか、狼はのっそりとさらに唯斗に近づき、前足を胸元に置いてきた。結構な体重があるため、つい唯斗はしりもちをつくように床に尻をつけて座る。
すると、狼はペロペロと唯斗の顔を舐めてきて、尻尾を振り回した。
抱き着くような体勢になった唯斗を苦ともせずにいる狼に癒されていると、今度は別の気配が現れた。
「あ、てめぇこんなとこで唯斗とイチャついてやがったのか!」
現れたのはキャスターだ。どうやらキャスターが連れていた狼だったらしく、キャスターの声に驚いた狼はさっと唯斗から離れてキャスターのところに戻る。
狼を連れてキャスターは唯斗のすぐ近くまでやってきたため、唯斗も立ち上がった。
「キャスターが連れてる狼だったんだな」
「まぁな。外出してやってたら、目ェ離した隙にどっか行ってやがった。それにしても、随分と動物には積極的じゃねぇか」
ニヤリとしたキャスターがするりと唯斗の腰を抱き寄せる。一気に距離が近づいて、すぐ近くに男前が迫った。
「積極的て…別に、ちょっと気が向いただけで…」
「まァでもよ、こいつだけってのもずりィよな?」
「は…?」
何を言っているのかと思った瞬間、突然、キャスターはべろりと唯斗の頬を舐め上げた。
熱い舌が頬をなぞる濡れた感覚にぞわりとして、「ヒッ」と思わず声が漏れる。
「な、にすんだおい!」
「こんな人のいねぇ場所で油断するたぁ、いただけねぇなぁ」
「ん、やめ、」
がしりと後頭部を掴まれ、鼻先をまた軽く舐められる。突然こんなちょっかいを出されるとは思っていなかった唯斗だが、足元では狼がやはり行儀よく座って待っており、まさかキャスターはある程度この狼と意思の疎通ができるのでは、と思い至る。
「あーくっそ可愛いなお前、食っちまいてェ」
「うあ、ちょ、マジで…!」
首筋を舐め上げられると、背筋を駆け上がるような感覚が押し寄せて震える。思わずキャスターの肩に縋るように手を寄せてしまったが、これではまるで受け入れているようだ。
と、そこへ、ようやく救いの手が差し伸べられた。
「何をしている、キャスターの御子殿」
冷えた声で問いかけたのはディルムッドだ。
潮時だと判断したのだろう、キャスターはぱっと唯斗を離した。唯斗は慌ててディルムッドのところへと駆け寄って、ディルムッドに正面から抱き着いた。
「大丈夫ですかマスター」
「大したことしてねーよ」
「それを決めるのはマスターだ。御子殿と言えど容赦しない」
ディルムッドは唯斗を抱き締めて庇いつつ、右手に紅の槍を出現させる。わりと本気に近い殺気を漏らし始めたディルムッドに、今度は唯斗が焦った。
「ディ、ディルムッド、俺が拒否しきれなかったってのもあるから、」
恐らく、結界などで唯斗が本気で拒否すればキャスターもそれ以上は踏み込まなかっただろう。半端に拒絶にもならない拒絶をして火をつけてしまったのは唯斗だ。
どうしても、やはりクー・フーリン相手に強く出られなかったのだ。
見上げた精悍な顔立ちは、ため息とともに殺気をしまって槍も消失させる。そしてしっかりと両腕で唯斗を抱き締めながらキャスターにじとりとした目を向けた。
「マスターの優しさに感謝することだ。マスターも愛らしい動物につられないように」
「へいへい。つか、マジで気をつけろよ唯斗、優しさで身を滅ぼしてたら世話ねぇぞ」
どの口が言うのか、と思ったが、キャスターは飄々とそう言ってラウンジを去っていった。
というか、さらっとディルムッドは唯斗のことも諫めていなかったか。
「え、俺も悪いのか」
「悪いというより、警戒心をですね」
「じゃあお前がもっとそばにいればいいだろ」
むすっとして、ディルムッドの腕の中で距離は取れないものの、顔を背けてそう言ったが、すぐにさすがに子供っぽ過ぎたと気づく。
しかしディルムッドはふっと小さく笑うと、唯斗の頬を撫でる。その指先に促されるようにディルムッドに視線を戻せば、穏やかながら色の籠った笑みを向けられた。
「許可をいただけるなら、どこまでもお傍に控えさせていただきますよ、マスター。食事も入浴も睡眠も、すべて」
「け、結構だ」
「そうですか」
大して残念そうにはしていないあたり、本人もそこまで本気ではなかったようだが、恐らく冗談でもない。
迂闊なことは言うものではない、というのをいい加減自分が学習できるまで、何度こういう目に遭うのだろうか、と考えると、少し気が遠くなった。