刑部姫のコピー本−パリの歴史軸
サバフェス4周目
サンソン×主
現在のパリ中心部、セーヌ川沿いの一区画をシミュレーターに再現したという報告をスタッフから受けた唯斗は、その出来栄えを見に行くべく、サンソンを誘った。
同じフランスの、それもパリの人間であったからというのもあるが、サンソンは他ならぬ恋人の関係であったためだ。
要は、デートの誘いのようなものである。
唯斗に誘われたサンソンはそれはもう花の咲くような笑顔で喜んで応じてくれた。
そうして、指定されたシミュレーターのストレージを起動して、二人はシミュレーション空間に意識だけシフトした。
そこは、パリ生まれのスタッフが、せめてシミュレーションだけでも里帰りしたいという執念で築き上げた空間だけあって、極めてよくできた空間だった。
「すげ、本当にパリだ」
「ここは…グレーヴ広場でしょうか」
あたりを見渡して、すぐにサンソンはこの場所に見当がついたようだ。
その視線を辿ると、広場に面して壮麗な建物が建っている。これはパリ市庁舎だ。建物の中央部はサンソンの時代よりずっと前からあったもので、その両側にある翼部分は19世紀に増築されたものである。
パリジャンのスタッフの話では、パリ市庁舎からアレクサンドル3世橋までの区画を再現しているという。
「…懐かしいですね。あまり面影は多くはありませんが」
「……そういや、ここって確か…」
「ええ。僕が助手として死刑執行を勤めた場所。ダミアンの八つ裂き刑を執行した場所です」
1739年生まれのサンソンは、1754年に病の父から死刑執行人の職務を継承し、16歳で最初の死刑を執行している。その3年後、1757年3月に、このパリ市庁舎が面するグレーヴ広場にて、フランス最後の八つ裂き刑として、ロベール=フランソワ・ダミアンの処刑を行った。ダミアンはルイ15世の暗殺を謀った人物である。王の殺人未遂は最高の重罪であるため、叔父が取り仕切ったが、叔父はこの死刑の残酷さにショックを受けて引退している。
「…それ以降、フランスでは一度も、八つ裂き刑は行われない。車裂きだって、1791年のハイチでの執行が最後だ」
「ふふ、すみません。気を遣わせてしまいましたね。あなたが教えてくれましたから。今はもう、フランスに死刑はないことも、僕の存在がそれに影響を及ぼせたことも」
サンソンは唯斗の頬を撫でて、さぞ愛しい、というような目を向けた。
第一特異点で出会った敵のサンソンにも、その後召喚されたこのサンソンにも、唯斗が伝えてきたことだ。法と人権とのバランスを取ること、その意識を欧州全域で高める一助となったのが、サンソンの生き様だったのだ。
「さあ行きましょう、唯斗。せっかくのデートですから」
「…ん、分かった」
サンソンは唯斗の腰に腕を回してエスコートするように歩き出す。当然、ここはシミュレーションであるため人の姿はない。無人のパリを、セーヌ川沿いに西へと歩き始めた。
市庁舎の前を通り過ぎてセーヌ川に出ると、早速サンソンは目の前にかかる橋を見て目を丸くした。
「おや、現代ではここに橋が架かっているんですね。それはいい、ここにも橋があれば、と思ったことがあります」
市庁舎のすぐ脇にセーヌ川をシテ島に向けて横断するアルコル橋は、19世紀前半の建築で、サンソンが亡くなって10年ほどしてから架けられたものだ。
その橋を横目にジェヴル通りを進めば、すぐに今度はパリで最も古い橋の一つ、ノートルダム橋に差し掛かる。
9世紀からここには木造の橋があり、15世紀からノートルダム橋と名付けられる。
「僕が生きていた頃は、この橋にはたくさんの住宅が建っていたんですよ。隣のシャンジュ橋もそうです」
「え、そうだったのか」
パリはもともと、このセーヌ川の中州であるシテ島に、セーヌ川の水運を担っていた商人たち築いた街だ。そのため、このシテ島がパリで最も古い区画である。
シャンジュ橋のすぐ近くには、それを象徴する建物があり、サンソンの足も止まる。
そこに建つのはコンシェルジュリー。中世中期の王朝であるカペー朝の王宮だった建物であり、この建物の門衛がコンシェルジュという言葉の語源となっている。やがてこの建物全体をコンシェルジュリーと呼ぶようになった。
14世紀から牢獄として使用されるようになり、フランス革命の際にはマリー・アントワネットもここに収容されていた。マリーはこの建物で最後の時を過ごし、そしてこの建物から、今二人が歩いているこの通りを通ってコンコルド広場へと連行され、そこでサンソンによって処刑される。
「…今はパレ・ド・ジュスティスと呼ばれてて、パリ大審裁判所やパリ警視庁の機能が一部置かれてるんだ」
「司法宮…なるほど、後世のパリ市民は、そのようにこの建物を使ってくれているんですね」
法が法として機能していなかった恐怖政治の時代、この牢獄は「ギロチン控えの間」と呼ばれていた。今では、司法の象徴として機能している。もちろん、古い建物であるため実務的な機能には乏しいが、あえて象徴的な使い方をすることで、パリはこの建物がどう使われていたかを決して忘れないようにしているのである。
やがて、対岸に見えていたシテ島は先細り先端部分を迎える。ここに架かる橋はポン・ヌフ、日本語で言えば「新橋」である。この言い方だと極めて陳腐だが、新しい橋の名を冠するわりに、現存する最古の橋だ。
「ここがヌフ橋ですか。では、あれはアカデミー・フランセーズ、対岸がルーヴル宮殿ですね」
「そうそう。あの橋がポンデザール、サンソンがギリギリ生きてた頃のやつだよな」
「ええ。古き良きシテ島の目の前に、無骨な金属の橋を架けるなど、と正直思っていました」
ポンデザールはナポレオンの命令で建築され、1804年に開通した、パリで最初の金属製の橋である。芸術橋という意味で、ルーヴル宮殿が芸術宮殿とも呼ばれることから命名された。
やはりナポレオンが建築したものだと、サンソンもこんな冷たい反応になるらしい。相変わらずな様子に苦笑してしまった。
「ちなみにポンデザールは、カデナ・ダムールと言って、南京錠をかけて鍵をセーヌ川に投げるっていうカップルのジンクスが流行したんだ。橋全体で50トンに及ぶ数になったから、全部撤去されて柵もアクリル板とガラスになったんだけどな」
「どこまでもパリらしいですね」
そのまま歩みを進めれば、いよいよパリを象徴するルーヴル美術館がその威容を誇る。右手に美術館を見ながら進むと、カルーゼル橋に差し掛かる。カルーゼル広場に直通する大きな橋で20世紀に立てられた。
しかしサンソンはそれよりも、カルーゼル橋から続く広場を見て、目を丸くしていた。
「まさか…テュイルリー宮殿は、現代には残っていないのですか?」
「ああ…うん、1871年のパリ・コミューンによる放火で全焼したんだ。それ以来、再建されずに、カルーゼル凱旋門だけ残ってる」
フランス絶対王政の象徴である16世紀から17世紀にかけて、ブルボン朝の宮殿として使われたのがテュイルリー宮殿だ。ヴェルサイユ宮殿に王室が移ってから空室となっていたテュイルリー宮殿は、その後フランス革命によってルイ16世とマリーが軟禁された場所となった。
第一帝政期にはナポレオンの公邸となったが、ナポレオン戦争終結後、百日天下の時期にはナポレオンはエリゼ宮殿に移動しており、以降現代までエリゼ宮殿は大統領公邸となっている。
ナポレオン戦争の講和条約であるウィーン条約で成立したブルボン朝復古王政、そして1830年の七月革命で生じた七月王政、続く1848年の二月革命で成立した第二帝政で華やかな時代を迎えるが、プロイセンとの間で発生した普仏戦争によってフランスは敗北。その講和条約に反対する武装蜂起であるパリ・コミューンによって、帝政の象徴たるテュイルリー宮殿は破壊された。
「でも今は、このカルーゼル凱旋門からシャンゼリゼ通り、エトワール凱旋門を経て、ラ・デファンスのグランダルシュまでまっすぐ続く『
パリの歴史軸』っていうのが構成されてるんだ。100メートル以上の高層ビルが建ち並ぶ現代のビル街に建つ新しい凱旋門から、二つの凱旋門を通る一つの軸だ」
「…確かに、失われるものもまた、歴史ですね」
「
n’avoir pas de prixってやつだな。再建計画はあったけど、今の景色もまた大事なものなんだ」
カルーゼル橋を過ぎればすぐに、今度はロワイヤル橋が見えてくる。その向こうにはオルセー美術館だ。
「あれはロワイヤル橋ですね。革命期、王と名のつくものはすべて名前を変更され、この橋も『王の橋』から『
国の橋』に変わりました。僕が亡くなる直前にテュイルリー橋と改称されましたが…」
「そうなのか…今はロワイヤル橋に名前は戻ってる。そんで、その向こうはオルセー美術館な。パリ万博に合わせて鉄道駅として建てられたものを、美術館として再利用してるんだ」
さすがにサンソンからは当時のことが細かく教えてもらえる。名前のくだりは唯斗も知らなかった。
そしてこのデートの終点となるコンコルド広場もまた、そうして名前が変わった場所だ。
「ブルボン宮殿はまだあるのですね」
「うん、今は下院にあたる国民議会の建物になってる。上院の元老院はリュクサンブール宮殿にある」
「なるほど…そして、ここが革命広場…」
ルイ15世広場と呼ばれた広場は革命広場に変わり、ルイ16世橋と呼ばれていた橋は革命橋に変わった。その後、どちらもコンコルドに名を変えている。
コンコルド橋は、解体されたバスティーユ牢獄の建材を用いて作られたものでもある。
広場に聳えるオベリスクはオジマンディアスが築いたもので、19世紀前半にこの広場に寄贈された。このときすでにサンソンは亡くなっている。
そして、サンソンがマリー・アントワネットを含む要人たちの処刑を行ったのも、この広場だった。
「
調和…確かに、あのとき必要だったものでしょうね」
ここまでずっと腰を抱いていたサンソンの手が震えたのを見て、唯斗はサンソンの正面に向き直ると、そっとキスを一つした。サンソンは一瞬のことに驚きを顔に浮かべている。
見開かれたアクアマリンの瞳に、唯斗は小さく笑った。
「サンソンの意識の中に入ったときさ、ここまでしなかっただろ」
「…、えぇ…そうです、あなたが改めて僕に向き合ってくれて、初めて触れたときでした」
「あれからいろいろあって、俺とサンソンはこういう関係になった。この広場もパリの歴史軸の一部だ。過去の凄惨な事実を物語る場所でもあるけど、俺とサンソンにとっては、関係を深める第一歩だった場所でもあるだろ」
「唯斗…そう、ですね、ここは歴史の最先端、今を生きるあなたと、死した僕との、新しい1ページが始まった場所です」
サンソンはようやく微笑むと、唯斗を優しく抱き締める。
「…ありがとう、唯斗。君とここを歩けて良かった」
「うん、俺も。次は、ちゃんと感覚がしっかりした外でキスしよう」
「ええ、もちろん。僕の愛」
過去を生きたサンソンと、今を生きる唯斗が交わった場所がこのパリの歴史軸だったことは、必然であり運命だったのだろう。そう思いながら、サンソンの腕の中で、唯斗は目を閉じた。