刑部姫のコピー本−逃がさない


サバフェス8周目
アキレウス×主


勝ち目がないと分かっていても諦めないなんて、まるで少年漫画の主人公のようだが、実際唯斗はそんな状況にいた。

なにせ、この鬼ごっこにおける鬼とは人類最速の男、俊足の英雄、アキレウス。人類の足首の部位名称となっているほどの英霊から逃げているのだ。

条件は完全不利だ。パスでこちらの居場所は知れているし、カルデアという閉鎖空間では隠れる場所も少ない。虱潰しにしても十分見つけられるほどアキレウスは速い。

いくつか当てはあったがすべて外れた。
まず最初に頼ったのはロビンで、宝具である顔のない王を使わせてもらおうとしたが、「どうせすぐバレますよ、パス繋がってるんですから」と正論を返された。それでもと食い下がった唯斗に、ロビンは大層呆れたように、「つか、とっとと諦めた方がいいと思いますよ」と身も蓋もないことを言った。

仕方なく、キャスター陣を頼ったが、全員「諦めろ」の一点張り。当然だ、唯斗は戦力的にアキレウスをどうしても頼ってしまうし、どんなに今逃げても自分からアキレウスを頼ることになる。
ここで逃げることが、まるで注射から逃げる子供のそれであることは、唯斗が十分に理解していた。それでも、逃げてしまう。

きっと捕まれば、もう二度と逃げられないからだ。


ここは逆張りで自室に行こう、と部屋に戻って扉が閉まった瞬間、背後に突然気配が現れる。


「捕まえた」


楽しげな低い声とともに、唯斗は後ろから抱き締められた。体の前に回された太い腕、抱き締める力強い体、15センチほど高いところから落ちてくる美声、視界の端にちらつくオレンジ色の布。


「……俊足の男だからこそ、待ち伏せなんてすると思わない、っていう読みか。くそ、一流の英霊め」

「はは、褒めるな」


まさか自室で待ち伏せしていると思わなかった。正攻法で探し回っていると思ってしまったのは唯斗の完全な早とちりだ。いや、確かに最初は追いかけられたのだが、明らかに加減されていた。あれは、「逃がされた」のだ。これが最後の逃避行だ、十分に楽しめ、とばかりに。

アキレウスは後ろから唯斗を抱き締めたまま、唯斗の耳元に唇を寄せる。


「さぁて、捕虜に拒否権は与えられないのが戦場の常だが、まぁマスターには特別にチャンスをやる。だから、お前がちゃんと選べ」

「っ、なにを…」

「おっと、知らんぷりはもう聞かねぇぞ?お互い、心の内は分かっちまってんだからよ。あとはマスターが踏ん切りをつけるだけだ。それを選ばせてやる」


いつもアキレウスに助けられていた。どんなピンチも逆境も、アキレウスが助けて逃がしてくれたし、アキレウスに頼ればいったん体勢を立て直せるという余裕が、戦場での冷静さを維持させてくれた。
鮮烈なほどに脳裏に刻まれる大英雄の勇姿に、興奮と尊敬と、そこに愛が混ざっていったのは、不自然ではなかっただろう。

そして同時に、アキレウスもまた、唯斗の有り様を気に入り、やがて同じ思いを寄せるようになっていた。
それをアキレウスは隠さずに伝えてきて、時に冗談半分、時に他のサーヴァントがいるのをいいことに本気で(止めてもらえるためだ)迫ってきた。あのケイローンですらアキレウスをたしなめなかったのは、もう唯斗とアキレウスが同じ思いを寄せ合っていると気づいていたからだ。

また、それを互いに知っていることも。

アキレウスが言った通り、あとは唯斗の覚悟だけだった。


「…俺はマスターで、アキレウスはサーヴァントだ。確かにどんな関係も有限のものだけど、俺たちはそれが早い。俺は、アキレウスがいなくなってからも、何十年も生きていかないといけない。それって不公平じゃねぇか」

「そうだな。確かに、マスターは俺がいなくなってからも生き続けることになる。でも、お前さんは今ここで仮に俺が退去すれば、これから先の人生、楽でいられるのか?」


アキレウスのまっすぐな質問は、唯斗の心に正面から刺さる。
もし仮に、今この状態でアキレウスと別れ、残る人生が始まったとして。アキレウスと関係を変えたときよりもマシなのか。

いや、もう唯斗は、アキレウスのことを忘れることなどできない。彼より鮮烈な人間などいやしないのだ。きっと、もうすでに、唯斗の人生はアキレウスと別れたあとの喪失感に苛まれることが確定している。


「…っ、ひでぇ、だろ、横暴だ、ずりぃ、」

「あぁ」

「…、俺だけ、つらいじゃん、ずっと、お前のこと、忘れられるわけ、ないのに」

「そうだな」

「不公平だし、理不尽だし…」

「…そうだ」

「……でも、好き、なんだ」

「…俺も好きだ、唯斗」


アキレウスはそう言うと、唯斗の体の向きを変えさせて正面で向き合うと、唯斗の顎を指先でくいっと上げ、身を屈めた。
唇が触れ合う感触がして、何度かついばむように続いたあと、ゆっくり解放される。


「確かに俺と過ごす時間は一瞬だろう。しかしその一瞬を、このあとお前に訪れる何十年という時間すべてを合わせても足りないほどの重さになるよう、俺が愛してやる。ギリシア神話の英霊に愛されるんだ……覚悟しとけよ?」

「っ、」


すぐ間近でニヤリとした黄金の瞳。先ほどの唯斗の予感は、まさに正しかった。
もう、逃げられない。



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