Liberté−7


やがてグルンドに降りると、先ほどまでいたカフェが見える小さな橋に出る。この橋を渡って崖を上り、少し行けばサンソンが宿泊するホテルのあるキルヒベルクだ。


「川に沿って歩いてみるか」

「この先ですか?」

「そう」


橋を渡り、ランドマークである修道院の敷地を川沿いに入っていくと、修道院の中庭に出る。さらにその先に進むと、しだれ柳のような木々の先に公園があり、小さな滝のような段差を経て、アルゼット川が森の中へと続いていく。


「森林浴ですね」

「そんな感じだな」


人影はないが、川に沿って続く小道はきちんと整備され、ベンチや街灯もあった。この道を歩き始めると、しばらく曲がることもなく進むか戻るかしかないため、歩く人はあまり見なかった。
しかし左手に川のせせらぎを、右側に森の音を聞きながら歩くのはとても心地が良い。

木々の梢越しに見えていた大きな石造りのアーチ橋を過ぎると、森の景色から変わってしまうため、その前に唯斗はベンチに座ることを提案した。


「この先はただの堤防みたいな景色になるから、ここらで休んでから戻ろう」

「分かりました」


二人そろってベンチに腰掛ける。途端に、前に見える川の音と風が木々を揺らす音だけが満ちる。人の気配はなく、まばらでも散歩する老人くらいはいるものなのだが、今日はそれもなかった。


「…なんだか久しぶりにこんな笑った気がします」

「俺もこうやって砕けた話すんの久しぶりだ」


二人の間に落ちる沈黙は気まずいものではなく、むしろ居心地が良いものだった。


「…この川の先はどこに至るんでしょう」

「アルゼット川はこの先、モーゼル川と合流してそっからはライン川に至ってそのまま北海だ」

「…どこまででも通じていけるんですね」


流れる場所を決められていても、やがて自由な海に出るのが川だ。サンソンはじっと川の流れる先を見つめている。その横顔は凪いだ表情だった。


「……海に出たいのか」

「…そう、ですね。自由に、なりたいです」

「そっか。俺も」


ぽつりと同意した唯斗に、サンソンはアクアマリンの視線を向ける。至近距離で目が合って、少し狼狽えた。サンソンは薄く笑うと、おもむろに立ち上がった。


「どこかのイタリアンバルでもどうですか。夕食がてらワインでも」

「…そう、だな。結構歩いたし」


意図的に空気を変えてくれたおかげで、一瞬鳴った心臓が落ち着く。唯斗はそっと息をついて、旧市街の方へ戻るサンソンの後に続いて小道を歩き始めた。


夜も21時を過ぎた頃、唯斗はアルコールで顔をやや赤くしながらワインを飲んでいた。外はようやく日が沈んだ頃合いで、夏のこの地域は21時くらいまでは太陽が顔を出しているのだ。
一応フランスの血を引いているはずなのに唯斗は然程アルコールに強くはなく、日本人の弱い人ほどではないが、唯斗より酒を飲める日本人が多いのは確かだった。
サンソンは当然のようにけろりとしている。

美味しいバルでアヒージョなどを楽しみながらワインを飲んでいた2人は、昼間と同様にしょうもない話を淡々と続けては笑っていた。まるで数年来の友人のようだが、今日出会ったばかりというのが信じられない。

あの一瞬、川沿いのベンチで感じた雰囲気はなりを潜めており、サンソンは相変わらず皮肉の効いた話題で小さな笑いを零していた。


「少しお手洗いに行ってきます」

「おー」


サンソンは少ししてトイレに立ち、唯斗はカウンター席に一人残ってスマホを取り出す。ガヤガヤと煩いバルの中では若者たちが騒いでいる。


「君、ひとり?」

「…え、俺か?」

「そうだよ。良かったら一緒に飲もうぜ、ほら」


白人の男が2人、唯斗のところにやってきた。ロックのウィスキーを渡され、断るのも面倒で少しだけ飲む。英語を喋っているが、こぼれるような発音の癖からしてポルトガル系だろう。ルクセンブルクにはポルトガル移民が多く、総人口の過半数にまで上ると言われている。


「中国人?韓国人?ニーハオ?」

「……日本人」

「ミックスかい?綺麗な顔だ」


男たちはケラケラと笑いながら、そっと唯斗の肩を撫でた。肩から首筋、顎と指先が撫で上げて、不快感で鳥肌が立つ。
なるほど、そういう目的か、と理解した瞬間、頭がぐらりとする。どうやら渡されたウイスキーには何か混ぜられていたらしい。警戒して一口にして置いて正解だった。



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