Liberté−8


どんなに綺麗な街であってもトイレは汚いものだ。サンソンは洗面台で手を洗いながら、唯斗の故郷の一つであるという日本の話を思い出す。日本に行ったことがある友人は口をそろえて日本のトイレが良かったと言っていた。トイレを見ればその国の衛生意識が分かる、というのはよく聞く話で、ライデン大学の附属病院からもよく医師が途上国に派遣されるため、それは裏打ちされている。

欧州はさほど衛生意識が高いとは言えないため、街並みの綺麗さに反してこういうところはまだまだだ。

曇った鏡に映る自分の顔はいつもと変わらないはずだが、やはり自分でも分かるほど、表情が緩んでいるのが分かる。こんなにもリラックスしたのは本当に久しぶりで、その相手が今日出会ったばかり、それもサンソンが疲労からぐらついた手から零れたアイスティーをぶっかけてしまった相手というのが驚きだ。

よく美形だと言われるサンソンであるが、唯斗はアジア系のミックスであることもあって、エキゾチックな色香があると思う。こんなことを思ってしまうのは酒に酔っているからか、と思うが、残念ながらそこまで飲んでいない。
はっきりした目鼻立ちにクールな印象を与える目つき、絹のような髪は天然のブラウンで、瞳はまるでスイスの湖のようだった。

そんな唯斗が酒に酔って色気を垂れ流しているため、サンソンは俊敏に用を済ませてトイレを後にする。この辺りの国は同性婚が合法化されて久しい、理解が進むとともに隠れなくなった者たちが男女問わず声をかける姿はよく見受けられた。

店内に戻り座っていたカウンターに着くと、案の定、唯斗はラテン系の男二人組に声をかけられていた。EU内の移民だろう。席を立った間にかなり酔ったのか、唯斗の抵抗は弱い。いや、二人ともワインばかり頼んでいたため、テーブルに鎮座するショットグラスには見覚えがない。ウィスキーだろうが、何か混ぜているかもしれなかった。それこそオランダは大麻などが合法化されている国だ。

そういったものを混ぜた塩をグラスの淵に付着させる手口などがあるため、警戒して一口しか飲まなくても影響が出ることがある。

酔っていなくてよかった。冴えわたる思考の中で、サンソンは冷静に男たちに近づくと、唯斗の肩を後ろから抱き、男を睨みつける。


「失せろ」


一言、それだけで男たちはびくりとして、「お手付きかよ…」と悔し気に言ってから去っていった。ポカンとしている唯斗が見上げる顔は幼くて、酔った上に驚くとそうなるのか、と小さな気付きにサンソンはほほ笑んだ。


「大丈夫でしたか?何もされていませんか?」

「大丈夫…ありがとな、助かった」

「当然のことです。でも少しきつそうですね」


唯斗の近くに置かれたショットグラスの淵にはやはり塩が付着している。


「ちゃんと一口だけに留めたんですね」

「見るからに怪しかったし、こういうの初めてじゃねぇから…」


ぼんやりと言う唯斗の口調は若干乱れていて、どうやら唯斗でも場合によっては口がさらに悪くなるらしい。そのブラウンの髪を撫でてやってから、サンソンは店員を呼んでグラスを見せる。こういう提供の仕方をしているか聞いたが、顔をしかめて首を横に振る。店員もすぐに何が起きたか気付いたようで、料金はいらないと告げた。

サンソンは頷いて唯斗を立たせ、去り際にそっとテーブルにチップ分だけ置いてから外に出る。すでに店員がタクシーを呼んでくれていたため、ありがたくそれに乗ってサンソンのホテルに戻る。

店員が持たせてくれたペットボトルの水を唯斗に飲ませると、唯斗は「あの店には悪いことしたな」と呟く。
店からすれば警察沙汰にしなかったサンソンたちに対して礼を兼ねてここまでしたのだろう。唯斗とてこれが純粋な善意とは思っていないだろうが、こういうことをさせたこと自体、すまないと感じている。



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