自由の風に吹かれて−5


マクデブルクを出てから6時間、唯斗はすっかりマンドリカルドの腕に抱かれたまま寝こけてしまい、起きた頃にちょうど車は予定通りバーデン=バーデンに到着した。
古代ローマ時代から温泉地として有名なこの街は、今も富裕層を中心に保養地として非常に有名だった。
こぢんまりとした小さな市街地は、華やかで美しく、山間の市街地を抜ければローマ時代の遺跡や古城も佇んでいる。市内の60%が森林という緑豊かな場所でもある。
火山のないドイツやハンガリー、チェコで温泉が多く存在しているのは、アルプス山地に向けて大地が衝突し続けていることによる地熱の恩恵だ。物質は圧縮されると熱を持つが、プレートによってイタリア半島北部あたりで大地が衝突し圧縮され続けていることによって地熱が発生し、それを利用した温泉が古くからアルプス北側で知られていた。

車で中心部から5分、市街地から少し離れた森の中、木組みのシンプルな屋敷が建っており、そこがオフェリアの家の別荘となっていた。広い敷地は森に覆われ、庭は花が咲き乱れ、近くの沢の音も聞こえてくる。ドイツ人は自然のあるがままの姿を好むため、フランスのように切り開かれてはいない。どこか軽井沢を彷彿とさせるのは、そうした気質が日本人と似ているからだろう。

車を運転していた使用人はもともとこの街に暮らす中東系の男性で、妻とともにオフェリアの家に雇用されており、別荘の維持管理や宿泊中の世話をしてくれるそうだ。

荷物を置いてから、その日は市内で夕食をとり、一日を終える。
ちなみに、部屋割りは立香、マシュ、オフェリアが一人ずつであり、唯斗とマンドリカルドは二人で一部屋となっている。もともと一緒に暮らしているため問題はないが、珍しく、立香やマシュが恐縮していなかった。こういう場面なら申し訳なさそうにするところだ。

そうして二人になり、唯斗は窓から外の暗闇を見つめる。この時期は、22時を過ぎてようやくしっかりと夜の闇に包まれる。市街地の明かりが僅かに森の向こうに見えるが、ほとんどは森林の暗闇に閉ざされていた。その森の中から、鈴虫のなく声や、たまに小動物らしき生き物の音が風の合間に聞こえてくる。
夜風を浴びながらそんな光景を眺めていると、マンドリカルドがブランケットを唯斗の肩に掛けてきた。


「風邪ひくっすよ」

「悪い、でも気分良くて。シャルロッテンブルクはちょっと狭苦しくて空気も悪いし、こういうところは落ち着いていいよな」

「…そうっすね。あ、星とか見えるっすかね?」

「確かに」


かなり田舎にあたる場所のため、夜空には星空が広がっているかもしれない。そう思って二人して窓から身を乗り出したが、目を細めてもよく分からない。


「部屋の明かり落とすか」

「うす」


少し明るすぎるかもしれない、と唯斗は部屋の明かりを消すことを提案し、すぐにマンドリカルドが部屋の明かりを消した。再び二人で窓枠から体を出して上を見上げると、だんだんと暗闇に目が慣れてきて、次第に星を見つけられるようになった。


「ベルリンよりはずっと見えるっすね。あ、あれとか夏の大三角ってやつじゃねっすか」

「え、どれ」

「あれっす」


日本と同じ中緯度帯は、この時期になると夏の大三角という恒星の並びを見ることができる。
唯斗はマンドリカルドがどの星を示しているのかと夜空を探すが、うまく見つけられない。すると、マンドリカルドはぐいっと唯斗の肩を抱き寄せて視線を近づけた。そして、唯斗の手を取って夜空を指し示す。


「ほら、あの山の上と、その横、そんでその下」

「っ、」


車の中でもそうだったが、今日はなんだか距離が近い。すぐ耳元でマンドリカルドの低い気怠げな声が楽しそうに弾んでいるのを聞くと、なぜか心臓が音を立てるような気がした。



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