自由の風に吹かれて−8


翌日は、夕方までは別荘でバーベキューなどを楽しんでから、夕方より市内の山に聳える古城へのトレッキングを行うことになった。
1.5時間ほどの山道コースで、歩いた先にはアルテス・シュロスという廃墟の城がある。ちなみにドイツ語でまさに「古城」を意味する言葉で、固有名詞ではなく一般名詞だ。

緑豊かな山道を5人でダラダラと喋りながら、夏場の長い太陽の光の下をハイキングする。帰りは車で迎えに来てもらってから、適当な温泉に浸かって汗を流し、レストランでディナーをする流れだ。そのため、夕日本番を見る時間はなく、傾き始めた太陽を見に行くようなものだった。

しばらくは5人で話していたが、次第に道が狭くなると二手に分かれるような形になり、前を歩く立香たち3人と、唯斗とマンドリカルドの二人となっていた。

少し沈黙が落ちてから、木漏れ日の落ちる道を歩く足元を見つめる。


「…唯斗、」

「ん?」


すると、マンドリカルドが話しかけてきた。いつもより静かな声音は、静謐な森の風を受けてのものなのか、そういう気分なのかは分からない。


「…なんか俺、ほんと唯斗がルームメイトで良かったなって思ってるんすよね」

「なんだよいきなり」

「1年経って、こうやってバカンスまで一緒に過ごして…改めて思って」


おもむろに言ってきたマンドリカルドの言葉はどういう意図かと首をかしげたが、確かに1年という節目にこうして夏の一時を過ごしていることを考えると、唯斗も気持ちは同じだった。


「俺、こうしてベルリンの大学通ってて、正直引け目みたいなの感じることも多くて…イタリアにいるときよりずっとマシなはずなのに、勝手に自分で卑下しちまうっつーか」

「…まぁ、マンドリカルドはいつもそうかもな」


マンドリカルドの父はトルコからイタリアに渡った経済難民、母はカザフ人の移民とイタリア人との間に生まれたハーフだ。つまり、マンドリカルドにはトルコ系とイタリア系の血が混ざっている。
移民の子であることを理由に、保守的なイタリアということもあって、周囲との軋轢が大きかったそうだが、トルコ系は腕っぷしが強いため、喧嘩では負けなしだったという。

周囲に疎まれるうちに、自衛するように自ら周りに敵対するようになり、すぐ手が出るような不良となっていたマンドリカルドだったが、そうした行動で親がひどく参ってしまい、さらにはイタリアの社会において何をどう頑張っても移民には至れない壁があるのだと大きくなって痛感し、自分の言動に逆に打ちのめされた。
粋がっていた自分の幼さと、それを残酷なまでに現実というものが叩きのめした移民への差別に、すっかり卑屈になってしまったのである。

そうしたことから逃れるように、マンドリカルドは自由なベルリンの大学にやってきた。


「大学でどんなに頑張ったところで、故郷のイタリアで大した仕事に就くことはできない。博士号を取ったって、欧州の上流階級には相手にされない。そう思ったら、無気力になったこともあったっす。でも、唯斗が隣にいてくれた」

「…俺だって、マンドリカルドがいたから頑張れた。一緒に頑張ってくれるヤツがいたから」


そんなマンドリカルドに救われたのは唯斗の方だ。
唯斗は、母が唯斗を生むと同時に亡くなってしまい、それにショックを受けた父はフランスに引きこもって唯斗に対してネグレクト状態となってしまったことで、実質絶縁状態だった。
結果、高校卒業と同時に縁を切られ、唯斗は逃げるようにベルリンにやってきた。日本の家も引き払われてしまったためだ。
もはや帰る場所のない唯斗は、ベルリンでの生活で真の孤独を味わうことになると思っていた。

しかしマンドリカルドと一緒にルームシェアをする中で、同じくイタリアに居場所がなく、社会で移民として孤立する感覚に苛まれていたマンドリカルドと、なんとなく境遇を共有できた。
居場所がない者同士、後がないもの同士、何かあったら互いに助け合って生きていけるような気がした。

自分は一人じゃない、というその感覚に、ひどく救われたのだ。



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