自由の風に吹かれて−9
山道を登ること1時間と少し、健脚の5人だったこともあってやや早く古城に到着した。
茶色い煉瓦の壁だけが残り、建物の内側の大部分がすでに消失している。窓の穴が壁に点々と空いているだけのうつろな廃墟だが、深い森林とそれを見渡す古城のコントラストは幻想的で美しい。
何より、この廃墟の向こうに広がる広大な平野を覆う空は、傾き始めたオレンジがかったもので、広々とした大空の鮮やかな色が目に焼き付いた。
「…すげ、思った以上だな」
「ほんとっすね…」
二人して広がる光景に見とれてしまう。
立香たちは早速廃墟の中に入っていったが、マンドリカルドはそれを追いかける気配がない。団体行動から外れようとするのはマンドリカルドのよくある癖だが、この5人で行動するときはあまりそういうことはなかった。
それなら唯斗も付き合おうと一緒に広大な光景を見渡す。
「あれライン川だよな。じゃああのあたりはフランスか」
「アルザスっすね。手前はシュヴァルツヴァルトか」
「だろうな…っくし、」
ドイツとフランスの国境地帯の平野や黒い森シュヴァルツヴァルトまで視界に収まる光景を見ていると、山頂に吹き付ける風の冷たさにくしゃみが出た。汗をすぐに冷やすような風だ。
ドイツは南に行くほど寒冷になる上に、夏といえど涼やかで、山の上ともなればそれなりに風は冷たい。シャツ一枚で来てしまったのは失敗だったか、と思っていると、マンドリカルドはおもむろにパーカーを唯斗の肩にかけた。
中の白いTシャツだけになったマンドリカルドはまったく寒そうにしておらず、パーカーからはマンドリカルドの匂いが香る。思わずそれをすん、と嗅いでしまうと、マンドリカルドはぎょっとした。
「あっ、臭かったっすか!?」
「や、そういうんじゃない。落ち着くなって」
石鹸の清潔な匂いは、唯斗にとって落ち着くものだ。袖を通してしっかりパーカーを着れば、より包まれるような感覚になる。
「…人生ずっと、家に帰って誰かに出迎えられたことってなかった。フランスの家にいるときは、無視されるか罵倒されるかだったし、日本の家は一人暮らしだったから。家に帰ってマンドリカルドがいることとか、家にいたらマンドリカルドが帰ってくることとか、そういうの、すげぇ新鮮だった」
「唯斗…」
「…マンドリカルドの匂い、なんて言うとちょっと変態くせぇけどさ。さっき言った通り、マンドリカルドが傍にいてくれるから励まされたし、一人じゃないって感覚に救われた。そういうのを象徴するもんなんだ。だから、マンドリカルドの匂いがすると、落ち着くし、安心する」
じっと唯斗を見つめて唯斗の言葉を聞いていたマンドリカルドは、美しい景色に視線を一度だけやってから、ひとつ深呼吸する。
そして、再び唯斗に向き直った。
僅かにしか変わらない目線は、いつも通り目つきの悪いものではあったが、真摯な表情をしている。
「…唯斗。好きだ」
「え…、」
「…日本じゃ、こういう告白?っていう儀式みてぇのがあるって聞いて…だから、それに倣う。好きだ、付き合ってほしい。いや、これからも二人で同じ家に帰って、同じ家を出て、お互いを出迎えるような、そんな生活をしたい」
交際を申し込む告白というものは、日本や韓国に独特の風習だ。しかしマンドリカルドの言葉は、それを飛び越えて、実質プロポーズのようなものですらあった。
意味を理解した唯斗は、一気に顔に熱が集中する。友人だった男のまっすぐな視線に射抜かれて、ようやく唯斗は、自らが無意識に持っていた感情の正体に気付いた。
「……お、れも…好きだ。今気づいたばっかの感情だけど、俺も、マンドリカルドと生きていきたい。その…これからも、隣にいていいか」
「ッ…!唯斗!」
唯斗の返答に、マンドリカルドは勢い余って唯斗を抱き締めた。逞しい腕に抱き込まれ、身長差ことほぼないものの体格差がはっきりしているため、包まれているという方が正しい。
唯斗もおずおずとその背中に手を回し、肩に顎を乗せる。マンドリカルドの手も唯斗の背中と後頭部に回っており、元ヤンだけあってこういうところに我の強さが出るな、と思ってしまう。