Sunset Undead−3
フランスヴィル到着から2週間、ホテルでのパーシヴァルとの生活にも慣れてきたところで、唯斗は事態の深刻さに頭を抱えていた。
検体120名から採集したウイルスの全ゲノム解析を8日かけて行い、その結果が出たところだが、予想だにしていない結果だったのだ。
国際医療研究センターからホテルに帰る車内、後部座席に座る唯斗に、運転席のパーシヴァルは心配そうに声をかけた。
「大丈夫かい?かなり疲労が見える」
「あー…や、疲れは問題ない、いつものことだ。それより…あんま良くない状況だ」
「研究結果が良くなかったということかな」
「あぁ。もうGISAIDに公開したからすぐ世界でも話題になるだろうけど…既存のエボラウイルスとの相同性が80%ほどしかなかった。エボラとしては新種とみていい。ぱっと見の所感では、ちょっと変異スピードも速そうだ」
「…?すまない、疫学は詳しくなくて…ただ、新種ではあるんだね?」
「あぁ、悪い。俺も配慮なかったな」
まだホテルまで時間がある、少しだけ、唯斗は基本的なことを話してみることにした。
「あらゆる生命は、基本的に『遺伝』ってのがある。人間なら、髪の毛の色や瞳の色とかな。この遺伝は、どんな情報が親から子に受け継がれるかで決定される。この遺伝情報をゲノムという。ゲノムは、核酸っていう物質に記録されていて、これがすべての細胞の核となる」
「DNAというやつかな?」
「そうそう。核酸はデオキシリボ核酸とリボ核酸の2種類があり、それぞれをDNA、RNAと呼ぶんだ」
人間のような大半の動植物はDNAという核酸を持っている。二重螺旋構造が特徴である。
一方、RNAは一本が螺旋するものが圧倒的に多く、これを一本鎖という。RNAはDNAに比べて不安定であるため、変異しやすい。
「単純な構造をしているRNAは、主にウイルスでよく見られる。大半は一本鎖で、その向きによってマイナスとプラスに分かれる。インフルエンザや狂犬病、エボラのウイルスは一本鎖マイナスだな。肺炎を引き起こすコロナウイルスなんかは一本鎖プラスにあたる」
「ふむ、なるほど。いずれにしても、変異しやすいものなのか」
「DNAに比べて、って話な。RNAの中にも変異のしやすさは違ってて、特にエボラはインフルエンザの100倍変異スピードが遅いんだ。そもそも、感染力も拡散性が乏しい」
人間の突然変異は、たとえばアルビノなどが分かりやすい例であり、その特殊性と比べれば、ウイルスの変異は当たり前に起こるものだ。
しかしウイルスの中でも変異しやすさは違いがあり、エボラウイルスはかなり変異しにくい部類である。
そして、あまりに致死率が高いことから、ウイルスが広く世界的に拡散する前に宿主が死ぬため、インフルエンザのような大流行とはならない。
「ウイルスは、『今感染しているかどうか』と『感染した経験があるかどうか』を調べることができる。今感染しているかを確認する手法は主に二つ、ポリメラーゼ連鎖反応、つまりPCR検査と、抗原検査がある」
ウイルスの塩基配列を増幅させて、ウイルスがあるかどうかを調べるのがPCR検査だ。
一方、ウイルスに対して免疫が作り出す抗体を使って、その抗体が反応するかどうかを調べる手法が抗原検査である。抗体が反応する対象である抗原があるということは、感染しているとみなされる。
抗原検査はPCR検査より精度が落ちるものの、短時間かつ簡易に行うことができる。インフルエンザのように症例が非常に多いものではすでに確立された手段となっている。
「過去に感染していたかを調べるのは抗体検査。まぁ、これはあんまりやらないな。そんで、そうやって感染の有無を調べたら、次はその感染者からウイルスを採取して、そのウイルスのすべての遺伝情報…つまり、ゲノムを解析する。これは全ゲノム解析といって、数万に及ぶ塩基をすべて調べて、既存のものと対比して、変異箇所を特定するんだ」
全ゲノム解析は、シークエンサーでゲノムを読み取り、それをスーパーコンピューターで解析することで行われる。一つのシークエンサーで20人から30人程度読み取るものが、次世代型として汎用化されている。
唯斗がフランスヴィルで使っているものは30人分の検体を読み取ることができる。
これをリヨンの唯斗が所属する研究所にあるスーパーコンピューターで解析するのだが、これには二日かかる。
こうして、一瞬間程で120人分のウイルスを解析したわけだ。