覆水盆に返らず−15


「…俺はフランスのブルターニュ地方、大西洋に突き出た半島に暮らしていた。知ってるか?古代ケルト文明では、ディオスクロイが最も信仰を集めていたんだ。インド・イラン共通時代から、双子の神というのは馬を操るのと同時に、苦境にある者を助けて海の安全を約束する性質を持っていたから。ケルト人は馬と船を操って、西欧に最初の文明を築いた。だから、特にガリアのケルト人にとってディオスクロイのような双子神は、主神なみに扱われてた」

「マスター…」

「…俺がいたブルターニュは、フランスで最もケルトの名残を持っている場所で、俺の魔術の源流もガリア系ケルト人に由来する。俺、母親はいないし、父親はネグレクトの末に俺を母の復活のために生贄として使おうとしたくらいだから、ずっと一人でさ。ブルターニュでの暮らしは、俺への罵倒と暴力しかなかったけど…だからこそ、海の向こうから双子神がやってきて守ってくれる、と祈ったガリアのケルト人の気持ちも、なんとなくわかる気がした」


古来、ガリアのケルト人たちは、ディオスクロイが大西洋からやってきて海上で困っている船を助け、苦境に陥っている戦闘に助力すると考えられていた。その信仰は極めて厚く、ティマエウスなどの当時のギリシア人歴史家は、ケルト人がディオスクロイを主神としていると歴史書に記載している。

現在は、ガリアにあたるフランス地域において直接的にその信仰を忍ばせるものはないが、戦闘がディオスクロイの登場で帰結することをディオスクリファニーと呼ぶ風習は古代ギリシア世界からローマまで続き、フランスの軍需産業メーカーが製造するミサイル艇の中には「ディオスクリア」と名付けられた戦艦もあった。ナチス政権下で作戦指揮において名をはせた二人の将官も、ディオスクロイのように確かな絆で結ばれていると報道されていた。

遠く離れたミャンマーでさえも、2001年の紛争で「ビルマのディオスクロイ」と呼ばれた双子の少年が象徴的な指揮を行って軍を率いたことがある。もちろん、それを言い出したのは欧州メディアだった。


「神の在り方を人の信仰が変えてしまう、それに怒りを示すのはもっともだし、俺がマスターだからってそういうのを我慢する必要もない。でも、後世において航海の神としての性格が付与されたのは、もともとインド・イラン共通時代から海上の安全を守る役割があったからで、それを近世の欧州が覚えていたからだ。きっと、真の意味でディオスクロイが神だったことを忘れたことは、なかったんじゃねぇかな」


ディオスクロイが司る権能の多くは、もとのインド・イラン共通時代から備わっていたもので、時代や地域によって過不足があったところ、ギリシアやローマのような支配的な文明がそれを統一したことで、神性が定まった。その中で人への零落が起きたのも事実だが、もとは古い神であったことをインド=ヨーロッパ語族文明が忘れたことはなく、だからこそ大航海時代になって航海の神としての性格がクローズアップされたのだ。


「…少なくとも俺は、冷たくて薄暗いブルターニュの地から見た海に、誰からも存在を無視される生活の中で、ディオスクロイがあの荒れた海の向こうから導いてくれることを願った人たちの感情が理解できた気がした。そういう普遍的な救い…星の光を象徴する神なんだって」


じっとこちらを見つめるカストロの表情は窺えないが、ポルクスは柔らかく微笑んだ。先ほどのコミュニケーション用ではなく、自然なものだ。


「ありがとうございます、マスター。縁の薄い召喚がこうして成立した因果を感じた気がします。我らディオスクロイ、あなたの前のいかなる闇も晴らしてみせましょう」


一方、カストロはポルクスの言葉を聞いてから、フンと鼻を鳴らした。


「俺は絆されんぞ。結局、人間どもによって我らが零落した事実は変わらん。お前もその人間の一人だろう」

「兄様…」

「いいよ、それで。もともと、俺は人類最後のマスターっていうセーフティ装置でしかないからな。別に、一人の人間として尊重する必要はない。所詮、ただの機構だ。サーヴァントとの良好な関係も、優しさも、俺にはもったいないものだから」

「なに…?」


カストロが唯斗を含め人類すべてを嫌うなら、それはそれでいい。むしろ、唯斗としてはやりやすい。
そんな言葉に、二人とも怪訝にした。少し喋りすぎてしまった。


「今はつい、あの双子神っていうんで話しすぎたけど、基本的に俺、戦闘や任務遂行に必要な会話しかしないつもりだ。嫌とかじゃないけど、俺には過ぎたものだから。機械にそんなもの、余計だろ」

「マスター、それは…」

「いいではないかポルクス。やるべきことに支障がなければ人間のことなどどうでもいいだろう」


ポルクスはカストロと唯斗を見比べて困った様子を見せる。優しい人なのだろう、それでいいのかと迷っている様子だった。


「…困らせて悪い、でも本当に気にしないでくれ。じゃあ、このまま最終再臨まで拡張するから、俺はいったん下がるな」


そう言って唯斗は召喚ルームを後にする。言いたいことは言えた、カストロも人間嫌いとして距離を取ってくれる。
それならば何も問題はない。どうせ彼らも、これが日常になれば気にしなくなるだろう。



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