Sunset Undead−19
何が起きているのか、大通りを歩いていた人々も、車を走らせていた運転手たちも、すぐに理解する。
教会に逃げ込んだ人々は急いで扉を閉めたが、感染者は無理やり窓を割って施設内に入っていく。立てこもりを図った人々がどうなるのか、想像に難くない。
歩行者用の橋で運河を渡って逃げる市民の姿もあったが、多くは唯斗たちと同じく西へと向かっていた。
自動車は走り出す市民が飛び出して来たことで、避けようと事故を起こし、無理やり進んだ車には、感染者が突っ込んでフロントガラスを割り、恐らく感染者の血液が飛び散って運転手の体内に入る。
「っ、走ろう、この先3つの橋を渡れなかったら終わりだ」
「了解した、転ばないよう気を付けて」
パーシヴァルは頷いて唯斗の手を引いて走り出す。足のリーチが違いすぎる上に脚力も違うため、唯斗はその速さに転びそうになったが、視界の端では次々と人々が感染者に襲われ、車が事故を起こす衝撃音や悲鳴が大きくなっていた。
この先、繫華街の方から伸びる3つの運河を超える橋が待っており、この橋を越えられないと研究所に辿り着くことは難しくなる。
パーシヴァルに手を引かれてホーヘ橋を渡ると、道路の反対側、観光名所となっている瀟洒な建物が並ぶダイヒ通りがすでに感染者と逃げ惑う観光客とでごった返しており、悲鳴がここまで聞こえてくる。
さらに進むと、右手からUバーン3号線が地上線路に出て運河沿いのこの道に合流する。
道路と線路それぞれの橋が並行する2つ目の橋に差し掛かると、橋の上の高い位置にある線路に電車が止まっているのが見えた。3号線の電車が途中で緊急停車しているらしい。
中央駅から、この先のバウムヴァル駅に向かっていたようだが、その車体は小刻みに揺れている。
窓は赤く汚れ、助けを求める女性が血だらけになって扉のガラスを叩いているのが見えた。
中央駅で感染した人を乗せてしまった状態で走り出し、車内で発症したのだろう。
思わず目を背けて、唯斗は必死にパーシヴァルの背中を見つめる。
やがてバウムヴァル駅を過ぎると、エルベ川に出る。川沿いに桟橋がいくつも浮かんでいる、ハンブルク最大のフェリーターミナルだ。
実に2キロ近くに渡ってこの先の川辺に続くフェリーターミナルには、すでに多くの人々がごった返していた。避難しようとする市民が殺到し、溢れた船から人が川に落ちていく。無理やり離岸したフェリーもあった。
一方で、なんとか救助しようと近づくフェリーもあれば、感染者を乗せることを恐れて接岸しない船もある。
口々に乗せてくれと叫ぶ群衆は道路にも溢れており、その群衆の先には、通りに面した研究所が見えていた。
「駅前の交差点から、研究所の正門があるゼーワルテン通りに続く小道がある。行けそうか?」
「私一人なら行けるだろうが、君を連れてとなると、確実にはぐれるだろう。あと数分でここにも感染者が到達する。その混乱を避けるのは…難しいか」
「そのころには研究所にいよいよ入れなくなってる。シグルドはギリギリまでバリケードの設置を遅らせてくれてるはずだ」
すでに通信が集中して通話はつながらない状態になっているが、恐らくシグルドは建物の完全封鎖を待ってくれている。早く辿り着かなければ、感染者が通りにあふれた状態で入ることはできない。
「分かった。ならば、少しだけ辛抱してくれ」
そう言うと、パーシヴァルは持っていたライフルを手早くケースに片づけてから、いきなり唯斗を抱え上げた。子供のように片手で抱きかかえられている。
「な…っ、」
「これであの群衆に突入する。しっかり掴まっていてくれ」
そう言うなり、パーシヴァルは唯斗を抱えたまま、第一桟橋に群がる人々の中に突っ込んだ。体当たりのようにして、密集する白人たちの間を通り過ぎていく。
ドイツ人も平均身長は高い人種だが、パーシヴァルはそれでもなお195センチという巨躯で周囲を圧倒する。
人々も、明らかに一般人ではない風体に加えて、しまっているとはいえ銃火器であろうもののケースを背負っているのを見て、慄いて避けていく。
それでも、第一・第二桟橋は小型船用のためもともと群衆の密度が少なかったが、その先のメインターミナルのある第三桟橋付近はもはや息もできなさそうなほどの密集となっていた。
ランドゥングスブリュッケン駅の前であり、フェリーターミナルのビルが建っている桟橋のメインエントランスでもある。第三桟橋から先、第十桟橋までターミナルが続く。こちらは中型船が停泊するため、大勢の人々が詰めかけていた。
なんとかパーシヴァルは人波をかき分けて進んでいき、目的の交差点が見えてきたが、唯斗は振り返って目を見張る。
「っ、まずい、感染者が来てる、バウムヴァル駅の方からだ」
「やはり運河を渡って北側から来るよりは、大通りに沿って川沿いに来るか」
旧市街からここまでの間にはいくつか運河が横たわっており、橋の数は多いものの、理性的行動ができなくなっている感染者では渡ることは難しい。もともと、狂犬病由来の恐水症状もある。
4車線道路が続く、唯斗たちが走ってきた川沿いの道路をやってくる方が早いというのは、唯斗とパーシヴァルの共通認識だったようだ。
第一桟橋の方では、感染者に後ろからいきなり襲われて絶叫した女性に端を発して、人々がフェリーターミナルを離れて逃げ出そうとしている。
その恐怖は急速にこちらに伝播し、徐々に群衆は、桟橋へ降りようとする者たちと、この場を一刻も早く離れようとする者たちとで異なる流れを作り出していた。
恐慌状態に陥った駅前の交差点を、パーシヴァルはついに強引に走り出した。何度か人にぶつかっているが、この人込みでは倒れるようなことはない。
さらに、パーシヴァルは拳銃を腰から取り出して、空中に向けて空砲を撃った。唯斗は直前に耳をきつく手で押さえていたが、それでもあまりの音に、まるで水中にいるかのように一気に周囲の騒音が遠のく。
キーンとするくぐもった音の中、銃声に周囲の人々が一斉に悲鳴を上げて逃げ惑う。その後ろからは、次々と群衆の間で感染が広がって、こちらに感染者が到達しようとしているのが見えていた。