Sunset Undead−23


長い一日はようやく夜になり、唯斗はシグルドから割り当てられた研究室のソファーに腰掛けた。この研究室は、唯斗が客員としてこの研究所を訪れた際に利用する場所で、いわば研究員用の実務的来賓室のようなものだ。フリーアドレスの研究室とも言えるかもしれない。

そのため、専任のスタッフがいる他の研究室と違って私物の類は一切なく、きれいに整理されているのが特徴だ。
シグルドの配慮であろうし、恐らく唯斗は、NERLIDへの功績からどこに行っても同じような厚遇を受けるだろう。

この研究所に残った他のスタッフは、自分の研究室がある者以外はラウンジや廊下のソファーで寝ることになっているそうだ。

しばらくソファーに座り、明かりもつけていない部屋の暗さを外の街灯の明かりがマシにしてくれているのだと気づく。
ふと気になって窓辺に向かい、ブラインドを少しずらすと、ハンブルク港の夜景が見渡せた。正面には第九桟橋があり、桟橋の青白い照明と、飲食店や街灯のオレンジの光が混ざっている。エルベ川の対岸の工場地帯も、カラフルな光が煌々と輝いていた。高層ビルにも明かりがいつも通り見えており、建物に逃げ込んだ多くの人々が息をひそめているのだと分かる。

そんな光景の手前、研究所とフェリーターミナルとを隔てる大通りには、倒れたままの死体と放置された自動車、そして人々の残していった無数の手荷物やゴミが散乱し、その間を、ゆったりと歩く人影。


「…マジで、ゾンビ映画じゃねぇか……」


思わず呟いてしまうほど、感染者が行く当てもなくゆったり死体の合間を歩いている景色が現実離れしていた。

そこに、扉がノックされる。


「私だ、入っても?」

「あぁ」


パーシヴァルのようで、唯斗が応じると扉を開けて中に入ってきた。手には非常食のインスタントリゾットが盛られた紙皿とクッキーの箱がある。
何も置かれていないテーブルにそれらを置いて、脇に挟んでいたペットボトルの水も添える。


「夕食を預かってきたよ」

「悪い、わざわざそんなことまで。パーシヴァルは?」

「私は先に少しだけ食べさせてもらった。自分の携行食もあるからね、この施設の備蓄はスタッフや君たち頭脳のためにあるべきだ」

「体が資本だろ」

「それを補う携行食だよ。君が食べたら、一週間くらい食事を拒否しそうな代物さ」

「あー…なるほどな」


どれほどのカロリーなのか考えたくもない。パーシヴァルの表現に思わず小さく笑うと、パーシヴァルは微笑んで唯斗の前までやってくると、唯斗の頬に指を滑らせた。


「パーシヴァル…?」

「やっと表情を緩めてくれた。この事態になってからずっと険しい顔をしていただろう?もちろん、それは仕方ないことだけれど。リラックスするべきときはリラックスしなければ」

「さっきシャワーしたし、リラックスはもう十分したつもりだけど」

「本当かい?」


シャワー室でシャワーまでさせてもらっているのだ、これ以上のものは望めない。だが、そう尋ねてきたパーシヴァルに、つい、唯斗は目の前の分厚い胸板に額をつけて軽く凭れた。


「…累計200万人以上が感染した。それは、同じ数が死んだのと同義だ。こんな、こんなこと…本当に、フィクションだろ、なんで……」


こんなバカげたSFのようなことが現実になるとは思っていなかった。いや、現実にしないために唯斗たちはいるはずのだ。
パーシヴァルは唯斗の後頭部を撫でながら抱き締める。


「たくさんの数の人が亡くなるのは、当然、痛ましいことだ。けれど、君の努力で一人でも命を救われたのなら、それは何にも代えがたいほど素晴らしいことだろう?その一人のために、君は頑張ってきたはずだ」

「パーシヴァル…」


確かに、パーシヴァルの言う通りだ。これまで、感染症の撲滅というより、一人でも感染しない、あるいは発症しても命を落とさない方法を探すべく、唯斗は研究を続けてきた。
今もやるべきことは変わらない。一人でも、外を徘徊する惨い姿にしないことが、唯斗に課せられた使命なのだ。


「…ありがとな。少し、楽になった」

「それは良かった。さあ、しっかり食べて明日からの研究に備えよう」

「あぁ」


少し冷めてしまったようだが、ようやく唯斗はリゾットを食べる気力が湧いてきた。自分の及ばないことばかり考えても何も成せない。できることは確実にやる、まずはそれを徹底するべきだ。



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