Sunset Undead−32


「もう一つ重要なのは、ワクチンの種類だ。風疹ワクチンは生ワクチン、あるいは弱毒ワクチンと呼ばれるもので、実際のウイルスそのものをぶち込んで感染させる。ただ、そのウイルスは極めて弱体化しているから、症状そのものはちょっとした発熱で済む。一方、インフルエンザワクチンは不活化ワクチンといって、完全に死んだウイルスを体内に接種してしている」

「怪我人の記憶と死体の記憶ということだね」

「すげぇワクチン打ちたくなくなる表現だけどそういうことだな」


パーシヴァルの言葉に苦笑すると、パーシヴァルも冗談で言っているためくすくすと笑う。
ただ、言っていることは正しい。
そして、基本的には不活化ワクチンの方が効果が薄くなりがちだ。ウイルスそのものはすでに死んでいる状態のため、細胞は感染せず、細胞性免疫が獲得されないからである。


「不活化ワクチンは死体を細胞に接触させて液性免疫を得るイメージだ」

「最悪なイメージだけれど、よく理解できたよ。だからインフルエンザワクチンは、効果が長続きしない上に型が異なるため毎年接種するわけだね」

「あぁ。実際の有効性としては、インフルエンザワクチンは概ね40%から60%程度。風疹ワクチンは95%前後を誇る」


風疹ワクチンは一度接種を完了してしまえば、その効果はほぼ一生続くと考えられてきた。そのため、幼少期に集団接種を受けることが重要になる。
風疹は極めて重篤な症状を引き起こす可能性のあるものであり、合併症によって脳炎を引き起こしたり、男性の場合は生殖能力を喪失したりすることもある恐ろしいものだ。症例が出ようものなら、地域の公的医療機関が総出で対処し、国にまで報告され、さらにWHOまで報告が行くような代物である。
2007年に日本の中高生や大学生の間で感染が広がった時には、欧米諸国で日本への渡航をやめるよう呼び掛けていた。

なお、風疹は近年理解が改められつつあり、二度と感染しないものではなく、感染しても発症せず、無症状感染によって抗体価が増加するブースター効果が起きていたため人生で二度感染することはないと見做されてきたとする見解が一般的になってきている。実際には感染自体は起きているということだ。


「有効性40%とは、40%の確率で感染しない、ということかい?」

「いや。医療統計学では、『感染した者の40%がワクチンを打っていれば本来感染していなかった』という意味になる。だからこそ、集団免疫という、社会やコミュニティ全体で免疫をつけていくことが重要なんだ。100人の集団で100人が予防接種受けてれば40人は感染しないことになるからな。ちゃんと予防接種は受けろよ」

「あぁ、納得したよ」


近代看護の祖であり統計学の親でもあるナイチンゲールの生み出した統計手法だ。ワクチンの有効性は可能性や確率の数字ではなく、感染者が本来どれほど感染しなかったはずだったのかを示している。当然だ、そうでなければただの博打の数字である。


「これで一通り感染とワクチンについては理解したな。ここからが本題だ」

「そうか、これはまだ前提段階か…」

「既存のワクチンのほとんどは不活化ワクチンであり、風疹ワクチンなど一部は生ワクチンが用いられている。これらは、ワクチン製造のためにウイルス本体が必要になる。不活化ワクチンの場合、何らかのタンパク質内でウイルスを複製して数を増やすんだけど、インフルエンザワクチンは主に卵を使う。鶏卵内でウイルスを培養していくわけだな。だから製造に時間がかかる」

「ワクチン自体の開発にも途方もない年月と費用がかかると聞いている」

「あぁ。ものによっては数十年かかる。費用も数億じゃ効かない。だから特許を取って儲ける必要がある。エボラのワクチンがまったく開発されていないのは、難しいというだけじゃなく、流行するのが貧しいアフリカだから経済的メリットがないっていう問題も大きい」


従来のワクチンは、開発から製造まで途方もない労力が必要になる。本来なら、このNERLIDも10年以上がかかるはずだった。


「そこで切り札になるのが、遺伝子を利用した遺伝子医療というフィールドの研究だ。米国を中心に、遺伝子によってワクチンを製造する研究が進められてる。これを主に、RNAワクチン、あるいはmRNAワクチンと呼ぶ」

「RNAはウイルスの遺伝情報が記録されている核酸だったね。これだけを取り出して感染させる、というようなイメージかな?」

「…、パーシヴァルってめちゃくちゃ頭良いよな」



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