Sunset Undead−33


思わず感心してしまった。普通、この言葉だけ聞いてもそこまで思い至らない。なんのイメージも湧かないのが普通だろう。パーシヴァルは「君に褒められるなら悪い気はしない」という調子だ。傭兵をやっている場合ではないのでは、と思うが、傭兵としても一流であるため、要はなんでもできるタイプの人間ということだろう。


「もちろん、ウイルスのRNAの全部を感染させることはしない。それは本当に感染しているのと同じだしな。だから、mRNAというものを使う。ここで改めて復習だ。ウイルスが感染するとはどういう事象だ?」

「ウイルスが自身の増殖を目的として他の生命の細胞に侵入することだったね」

「そうだ。その侵入に使うのがスパイクタンパク質であり、スパイクタンパク質の設計図になるのがmRNAだ。細胞の表面がナットなら、スパイクタンパク質はボルト。細胞に取りつくことに特化した形状をしていて、これが細胞にくっつくことで、細胞はウイルスを受けて入れてしまう」


もともと細胞は、体の他の器官や細胞からタンパク質で構成されたメッセージを受け取ることができるようになっている。このメッセージを受信するための器官が細胞の表面に存在する。
ウイルスは、この細胞がメッセージを受信する器官に己のスパイクタンパク質を接続することで、メッセージの受信機能を悪用し、細胞に侵入を果たすのだ。
通常、ある細胞は特定のメッセージしか受信しないため、細胞ごとに受信器官の形状が異なる。同様に、ウイルスごとにスパイクタンパク質の形状も異なる。


「あるウイルスのスパイクタンパク質は、喉の細胞の受信器官に接続できるようになっている。これに感染すると、喉からくる風邪を引く。粘膜にくっつくなら鼻風邪とかな。肺や呼吸器の細胞に取りつけるものは肺炎を引き起こし、コロナウイルスなんかがこれにあたる」

「なるほど。では、mRNAを記憶させると、スパイクタンパク質に対して反応するようになり、細胞に取りついた時点で反応できるようになる、というわけだね」

「マジで理解力が高いな」


パーシヴァルの言う通り、mRNAワクチンとは、スパイクタンパク質の設計図となるメッセンジャーRNAを体に記憶させる試みなのである。


「ワクチン接種によってmRNAが細胞の中に入ると、細胞はそれを記憶し、抗原提示を行う。これによって免疫系はこの細胞から提示された抗原を記憶し、必要な抗体を産生する。こうして、本当に感染したときに迅速な初期対応を免疫系がしてくれるようになる。ちなみに、細胞に入ったワクチンのmRNAは、細胞が抗原提示をできるようになったあと、自然に分解されて消滅する。間違ってもDNAとくっつくなんてことはありえない」

「その点は私も気になっていた。細胞にウイルスのRNAを取り込むなんて、と」

「すでに二重螺旋してるDNAに合成されるとかありえないし、そもそも取り込んだのはスパイクタンパク質をつくるmRNAであってウイルス本体のRNAとは別だ。もっと言うと、実際のワクチンでは、本物のウイルスから取り出したmRNAではなく、ウイルスのものを解析し複製して人工的に合成したものを使う。人工mRNAってことだ。加えてDNA含む細胞核へ影響しない物質も合成されることになるしな」


本来、細胞は外来RNAを排除するセキュリティを持っている。mRNAワクチンにおいては、mRNAはヌクレオシド修飾というコーティングのようなものがされており、これによってセキュリティを突破。一方で、細胞は抗原提示に必要な情報だけをこのmRNAから読み取って記録し、免疫系に提示する。その後、自動的に細胞内で消滅する。
mRNAは設計図の図面であるため、その図面をもとに人工的にヌクレオシド修飾mRNAを生成してワクチンとすることになる。これはさほど難しいことではない。


「このmRNAワクチン最大の利点は、開発の容易さだ。不活化ワクチンなどの従来のワクチンは、ウイルスそのものを使うから極めて複雑な開発プロセスを経る。でもmRNAは違う。RNAはあくまで情報、いわばデータだ。手書きで表を作るのとExcelで表を作るのとじゃまったく時間が違うのと同じだな」

「情報を作る、ということかい?」

「解析さえすれば、そしてRNAのどの部分を使うかを特定してさえいれば、その情報をコピーして人工的にmRNAを合成できる。この情報の解析と特定こそが、これから俺がやる研究だ。それさえできれば、あとは米国の製薬企業がmRNAワクチンを開発し、NERLID対策が本格化する」


ようやく唯斗が行う研究内容を説明できた。同時に、その大変さを改めて自覚してしまい、ため息をつく。



prev next
back
表紙に戻る