華胥は隣に−2
長閑宮における麒麟の居所である
仁重殿を出た唯斗は、午前の太陽光を浴びながら廊下を突き進み、内宮の最も外側にある外殿に出る。外殿の主要施設である正殿は玉座のある場であり、高官たちが集まって毎日の朝議を行う大広間である。
その正殿は今、ほつれた絨毯の上に大きな無骨な机が置かれており、巨大な会議室の体裁になっている。
「おはようございます、
台輔」
「おはよう、蘭陵王」
両膝と両手をついて行う伏礼をして出迎えたのは、現在の
冢宰であり天官長である高長恭、氏字を蘭陵王という。王、という名を本人はひどく謙遜しているが、前王の許しを得てその名を使っている。
台輔というのは唯斗を指す敬称であり、麒麟固有の役職である宰輔という役職名を恐れ多くも呼ぶことができないということから、台輔と呼ばれる。
自分の王やその尊属からは采麒と呼ばれることもあるほか、民の間でも概念的な文脈においてのみ采麒と言われる。他国の王と麒麟を含む者たちは、公式の場では采台輔と呼ぶ。
唯斗という名は、前王から与えられたものだ。実は麒麟には固有の名は存在しないため、終生、麒麟としての一般的な名だけで呼ばれる者が多い。
ただ、中には特別に名を与えることもある。信頼関係の証であったり、時には支配の証であったりというものだ。
もちろん、その名を呼ぶのは王だけである。
「他の六官と節州師左将軍も揃っています。支度も終えていますので、お通ししても?」
「頼む」
蘭陵王は立ち上がって、いつも通り、事前に正殿の控室に集まっていた者たちを呼び出す。ぞろぞろと入ってきた6人に蘭陵王と唯斗を加えた8人が、実質、この国を王なしで取り仕切っている状態だ。
「相変わらずお早いですな」
「あんたもな、張角。年寄は朝早いって聞くけど」
「ほっほ、たかだか130年ほどですがな」
老齢の地官長・張角は相変わらず食えない笑みで挨拶をした。地官は土地や戸籍を司る官僚だ。
なお、蘭陵王は天官長、宮中のことを司る天官の長であり、かつ六官を束ねる冢宰でもある。本来、冢宰は六官とは別の者が担うのが慣例だが、現在の長閑宮は人手不足でそれどころではないため、兼任してもらっていた。かつて、大昔は天官長が冢宰を兼ねていたという古い慣例もある。
そして、彼ら高官を含めた国の役人というのは、その任につくと仙籍という特殊な戸籍に入る。その名の通り、仙籍に入ると仙となり、寿命がなくなる。特殊な武器や、頭を割られるような死に方でもしない限り、仙籍に入った者が死ぬことはない。まさに不老不死となるのである。
当然、王と麒麟も、政治を違えて麒麟が失道しない限り、不老不死となる。
「おっはよー!台輔も天官長も、今日も今日とて朝日顔負けの美しさね!」
「…、おはよう三蔵。あんたも太陽顔負けの騒がしさだな」
「ありがと!」
褒めていないが笑顔の三蔵に、唯斗はため息をつく。
祭祀を司る春官の長である三蔵は、今日もなぜか張り切って机に向かった。あまり春官には仕事がないのだが、彼女がいるだけで場が和む。
「秦良玉、推参いたしました」
「おはよう。ちゃんと眠れてるか?」
「問題ありません、ありがとうございます」
続いて挨拶をしたのは、夏官長であり禁軍左将軍である秦良玉。夏官は軍事を司る役所であり、かつ王直属の軍である禁軍の最高位役職の左将軍を務めている。二重の意味で、この国の軍のトップである。
本来は禁軍左将軍として働くが、人材不足なのと、王不在の間は禁軍はまったく動くことができないため、一時的に夏官長を兼任してもらっている。
「おはようございます、台輔。改めて、この国の人事は他国では考えられないような多様性がありますね」
「おはよう陳宮。それは完全に俺も同意だ」
「私を六官に据えてるのが一番意味わかりませんよねー」
「なんだかんだやってくれてるだろ、徐福」
司法を司る秋官長・陳宮と、造作を司る冬官長・徐福も続けて挨拶を交わす。
造作とは宮中で必要な武具や祭祀の道具などを作成する組織のことで、もともと徐福は呪物を担当する玄師だった。例によって人材不足のため、唯斗が冬官長に着任させたわけだが、絶対無理だと拒否してひと悶着があった。
天地春夏秋冬の名を冠するこれらの高官たちをまとめて六官といい、行政のトップを担ってくれている。
そして最後に平伏したのは、首都州である節州の軍・州師の左将軍である李書文だ。
「李書文、馳せ参じました。穢れのないことを祈るばかりにて」
「問題ない、ありがとう」
李書文は赤い髪に逞しい肉体をした、見た目こそ若々しい青年だが、これで首都州の軍のトップである。禁軍を動かせない今、才の軍として唯一まともに機能するのが節州の州師であり、李書文は秦良玉に代わって軍事力の大半を指揮する。
麒麟は仁の生き物であり、死や暴力、血などを極端に嫌う。あまりそれに近すぎると、いずれ病んでしまうほどだ。血を見るだけで倒れそうになる。
そのため、あまり武器を携行する者の傍にはいられない。この外殿は、王と護衛以外の武器の携行が禁じられているため、この場には武器はなく、また秦良玉も李書文も体を清めてから来てくれていることから、こうして接しても問題なかった。