華胥は隣に−8
やっと見つけた。
その想いだけで走り抜けた先でようやく出会えた自らの主を前にして、感情の昂ぶりを抑えられず、あまつさえそのまま新たな主上の腕の中で寝入ってしまったという話を聞いた唯斗は、恥ずかしさのあまり失道するかと思った。
しかし、奏の王宮である
清漢宮で保護されてからというもの、矢継ぎ早に新たな采王、元・才国禁軍右将軍の黄飛虎の登極が始まり、あわただしく黄海への旅が決まる。
清漢宮より雲海を通って黄海に向かい、そこで即位のための儀式を行うのだ。
儀式が終われば、玄武という巨大な神亀に乗って雲海を次は揖寧へと渡り、長閑宮での儀式を行う。この玄武が雲海に描くさざ波は、下界からは一筋の雲として見え、これを瑞雲という。
長閑宮での儀式が終わると、揖寧郊外でさらに国を鎮護する儀式を行う。
一連の儀式がすべて終わると、正式に王としての登極が完了し、妖魔が出なくなり大規模な災害は起こらなくなる。
そこからようやく、様々な内政が始まっていくのだ。
その日のうちに、黄飛虎は自身が連れていた騎獣である
騶虞に乗って、唯斗を自身の前に抱くようにして乗せると、清漢宮を飛び立った。
騎獣とは飼いならされた妖獣のことであり、妖獣はこうして人が飼育できるという点で妖魔と区別される。騶虞はその中でも最も足の速い妖獣であり、空を飛ぶ空行が可能なものだ。極めて高価な生き物であり、黄飛虎が長閑宮を出奔した際に連れていたそうだ。
黄飛虎とともに飛ぶのは、元・節州師左将軍の呼延灼を含む幾人かの護衛だけであり、一日がかりの旅となる。
太陽が傾き始めた空の下、延々と続く大海原を見ながら、「さて」と黄飛虎が後ろから話しかけてくる。
「バタバタとしてしまったが、改めて自己紹介をしよう。某は元禁軍右将軍、黄飛虎と申す。40年ほど前、かの昏君のもとで禁軍将軍となっていたが、長閑宮の大火に際して、その命に反逆し、部下や当時の冢宰・太公望殿、そして節州師左将軍だった呼延灼殿を連れて奏に渡った」
「生きてたんだな…あ、失礼。生きておられたのですね」
つい、いつもの癖でぞんざいな言い方をしてしまったが、この男はこの世界で唯一、唯斗が絶対的な敬意を払うべき相手だ。
前の王である立香は砕けた態度を取るよう言ってきたため、見た目の年齢が近しいこともあり、個人的な時間においてはかなり砕けた調子で話していたこともある。そのまま官たちと禅譲後の国を経営していたため、黄飛虎にも同じ話し方をしてしまった。
密かに内心、やってしまったと青ざめていた唯斗だったが、黄飛虎は笑い飛ばす。
「はっはっは、いいさ。口調など、公式の場でなければどうとでも。それは本質ではなかろう」
「…、分かった。じゃ、お言葉に甘えて。2代前の王までに召し上げられた官たちの名簿は、大火で消失している。その後再編されたものは、空位期間に存命していた者たちだけで編纂された」
「ふっ、良い切り替えの速さだ。そうか、だから某たちは飛仙となっていたわけだな」
少しおかしそうにした黄飛虎に、唯斗は僅かに振り返って首をかしげる。
「なんか変だったか?」
「いや。ただ、麒麟というものに対して抱いていた印象と随分違うものだな、とおかしくなってしまった。一度見かけた前の台輔は、麒麟らしい物静かで淑やかな方でおられたからな」
「…、悪かったな、がさつだし、態度悪いし、いつも眉間に皺寄ってるって言われるし、鬣…髪だって短くて、色もほぼ茶色だし。妖獣が人になったって方がしっくりくるかもな」
「む、すまぬ。そう悪く言うつもりではなかった。むしろ某には好印象だった、儚い子のような麒麟であれば、どう接すればよいか分からなかっただろうからな」
麒麟は本来、その国の民を代表する生き物のため、国民の気性を反映すると言われる。戴や芳のような雪国の麒麟のようだと三蔵から言われたこともあったが、三蔵もまた、奏や漣のような南国の民に似た明るさであるように思う。
才の民は、温厚で落ち着いた性質であると言われており、歴代の麒麟たちもそうだった。
「お主は、前王の登極時からずっと困難な状況を支えてきてくれたのだろう。国民の気性どころか、麒麟としての本性すら押し込め、国のために尽くしてきてくれた。それができたのは、お主のその生来の気質が故ではないか?」
「…さあな」
唯斗は適当に返す。たとえそうだとしても、唯斗は結局、立香のときに何もしてやれなかった。登極時、実質100年に近い空位によってろくな官吏もいない朝廷において、それを支えてやれなかったのだ。
結果、さらに才は追い詰められてしまった。
麒麟として、何も果たせなかったのだ。