華胥は隣に−11
「ねぇ唯斗、
華胥華朶って知ってる?」
「才の宝重の?知ってるに決まってるだろ」
4年ほど前、立香が登極して間もないころ。
王の私的な区画である内宮のうち、王が暮らす建物群を正寝というが、立香はよく唯斗を正寝に呼びつけた。
王宮は外宮と内宮に分かれ、外宮は朝議などを行う正殿がある外殿や府第がある。内宮は居住区画であり、路寝と燕寝に分かれる。路寝は王と麒麟の、燕寝は王后や王の家族の暮らす場所だ。路寝はさらに正寝と仁重殿に分かれており、麒麟は仁重殿で暮らしている。
同じ路寝とはいえ、それなりに距離がある。それでも唯斗が立香のいる正寝に行っていたのは、呼ばれれば口ではいろいろと言いつつ、嬉しかったからだ。
そこで寝る前の立香と話していたが、そんな折に、立香は才の国の宝である宝重に触れた。
「枕元に置いて眠ると、夢で理想の国を見せてくれるんだって」
「そうらしいな。ま、理想って言ってもその人自身にとっての理想なんだろうけど」
「そうなの?」
「推測だけどな。理想って人によって違うんだから当然だろ。思うに…王は誰しも自分の理想をもって登極するけど、政治をするうちにどんどん理想と現実の間で悩みが出てくるのを、改めて理想の国の姿を見せて自分の理想を再認識することが目的なんじゃないか」
才の宝重・華胥華朶は宝玉でできた桃の枝だ。これを枕元に差して眠ると、寝ている間に花が開き、華胥の夢、すなわち理想の国の姿を見せてくれるという。
理想とは主観的なものであるため、華胥華朶が見せるのは普遍的な理想ではなく、眠る人物にとっての理想なのだろう。きっとそれは、迷ったときの道しるべとなることを願って生み出されたものなのだ。
「なるほど…じゃ、早速使ってみるね」
「は!?ったく、宝重をそんな軽々に使いやがって」
「別にいいじゃん、俺、一応王様なんだし」
いたずらっぽく笑った立香は、そうして時折華胥華朶を使うようになった。
その数年後、赤海に妖魔が出るようになったあたりだろうか。体調不良が続く唯斗のもとにやってきた立香は、仁重殿の寝台に横になっていた唯斗の枕元に花瓶を置いた。水は入っていないそこには、華胥華朶が差してある。
「…主上……?」
「名前、呼んで?」
「…、立香」
「うん、唯斗。ごめん、俺はもう…これ以上、王位にいてはいけない」
「っ、そんな、そんなこと、」
唯斗はなんとか起き上がる。布団が落ちていくが気にせずに立とうとしたが、立香は唯斗をベッドに留めた。
「無理しちゃダメだよ、なんて。俺のせいでこうなってるのにね」
「それはいい、いいんだ、そんなことよりお前、」
「唯斗。分かってるでしょ?俺は官吏登用に失敗した。俺の理想は、普通の暮らしができる普通の国だった。それなりに具体的だったと思ったんだけど…理想とするには、低すぎたのかもだ。きっと、俺の理想の国になる前に、唯斗は失道する」
「まだ大丈夫だ、立て直せるから、」
立香が何を考えているのか分かってしまった唯斗は、これからやってくるであろう喪失感への恐怖で、立香に必死で縋ってしまった。みっともないだろうが、袍を掴んで引き留めることしか、今の唯斗にできることはなかった。
「もし俺も唯斗も倒れたら、また最初からだ。もうこの国に、また昇山する体力も、次の麒麟が生まれるまで待つ気力も、残ってない。何よりさ、俺は唯斗には生きていて欲しいんだ。王を選ぶためだけにしか生きられないなんて、悲しいでしょ」
「俺のことはいいんだ…!だから、諦めないでくれ…」
「ごめんね、ごめん、唯斗。でもお願い。民のためにも、そして自分のためにも、生きて。才のこと、頼んだよ」
そっと唯斗の後頭部を撫でてから、立香は部屋を出て行き、そしてそのまま戻ってくることはなかった。
その晩、華胥華朶が唯斗に見せた夢は、平穏な暮らしを送る民を、立香とともに眺めている光景だった。