華胥は隣に−13
「台輔を怒らせてしまいましたね、黄くん…」
「…あぁ。失言だった」
黄飛虎はため息をついて、卓上の余った玉石を適当に手に取る。紅のそれは鮮やかで美しいが、あまり見ていたくなくて元あった場所に戻す。
麒麟はどんな王でも慈しむ生き物だ。とりわけ、前王は特に問題ある人物ではなかったと聞いている。荒廃した朝廷で成すすべなく禅譲するしかなかった前王に、采麒はどれほどの喪失感と絶望を味わったことか。それに対する配慮がなく、また、己が飛仙であると知りながら才に戻らなかったことすら棚に上げて、あまりに無遠慮なことを言ってしまった。
太公望は顎に手を当てて悩まし気にしている。
「…王と麒麟の関係が良くない王朝が長続きした試しはありません。早く台輔との関係を修復しなくては」
「それ以前に、前の王を失った采麒の心への配慮がなかった某の非を謝罪するのは、人として当然のことだろう。王朝のことなど目的としている場合ではなかろうに」
太公望は黄飛虎の言葉を聞いて一瞬虚を突かれたようにしてから、ふっと破顔する。
「その通りですねぇ。うん、僕としたことが、ついつい文字通り心ない考え方をしてしまう」
「そういう人物もまた必要だろう。なんであれ、某は無骨な武人といえど、先ほどの発言はあまりに非情が過ぎた。采麒は…彼は、某がまず第一に守るべき相手だ」
何よりまず、黄飛虎は采麒を守ろうと、奉賀で初めて出会ったときに決めたのだ。
一方、呼延灼は卓上を見渡してからこちらを見上げる。
「今日はもう主上もお休みになられた方がよろしいでしょう。台輔への謝罪だけお願いしますね。太公望殿と私で、現況を整理しておきます」
「頼んだ」
いずれにせよ、節州に国内人口の大半が集結している以上、何をするにも節州候の采麒の決裁が必要だ。細かいことは明日からとなる。
黄飛虎は呼延灼たちの言葉に甘え、今日はもう公務を終え、采麒に会いに行くことにした。
すたすたと外殿から正寝へと向かう。道中では、官たちが次々と叩頭礼をして見送る。
内殿から内宮に入り、路寝区画を正寝経由で広徳殿に向かう。
しかし広徳殿に采麒の姿はなく、その足で仁重殿に向かうと、仁重殿の入り口であでやかな長い黒髪の男と出くわした。
「っ、主上」
男はすぐに叩頭礼をする。仁重殿にいたのであれば、内小臣だろう。
「私は内小臣と内宰を兼任しております、燕青と申します」
「うむ。当分は兼任を続けてもらうだろうが、よろしく頼む」
人手不足なのは変わらないため、内宮まわりの天官の配置は当分あとだ。今は国政に必要な地官や秋官を優先しなくてはならない。
「ところで内宰、采麒はいずこにいる?」
「…、仁重殿に。恐れながら、お尋ねすることをお許しいただけるでしょうか」
「許す」
「は、ありがたき。台輔はお休みになられておりますが、どのようなご用向きでしょうか」
通常、このようなことを王に尋ねるなどありえない。信頼関係のある間柄であればまだしも、初めて会ったばかりの王にこれを聞くとは、相当な胆力だ。
それほどまでに、燕青の采麒に対する厚い忠義が伝わってくる。恐らく、前王の代で登用された人物なのだろう。
そして黄飛虎が采麒を傷つけたことも恐らく知っている。だからこそ、燕青は丁寧な所作から警戒が滲んでいた。これ以上傷つけるなら許さないとでも言っているようだし、事実そのような心持ちだと思われる。
「…謝罪に。心ないことを言ってしまったのだ。通してはくれぬだろうか。もし、内宰が日を改めよと言うのであれば、これまで采麒を支えてきた実績を鑑み、その忠言に従おう」
黄飛虎がそう答えると、燕青は驚いたように顔を上げた。そして、小さく微笑んで再び額を地面につける。
「ご無礼をお許しください、主上。台輔は居室におられます。此度こそは、王の役に立ちたい、と申されておりました」
「…そうか。これほど国を持ちこたえさせてくれたにも関わらず、そう言うか、采麒は。麒麟であることを差し引いても…いや、無粋だな。あぁ、正寝は長楽殿以外は使う予定がない。人手が余りそうであれば、天官長と相談し他の官に出向できるか調整してくれ」
「かしこまりました」
黄飛虎は話を終えると仁重殿に入る。燕青は気を利かせて、しばらく仁重殿には人をやらないだろう。
息を深く吸い込んで居室への廊下を進む。どうやら黄飛虎は少し緊張しているらしい。麒麟と私的に話すなど王以外にはあり得ないため、それが謝罪からというのはさすがの黄飛虎でも気後れしてしまう。
それでも、黄飛虎は意を決して、扉から声をかけた。