華胥は隣に−14
燕青が用意してくれていた茶菓子の饅頭を食べていた唯斗は、突然、扉の外に気配を感じて、慌てて饅頭を飲み込んで茶を流し込んだ。
手を拭いて、乱れていた袍を正すと、ちょうど声がかけられた。
「采麒、某だが、今少しいいだろうか」
「どうぞ」
唯斗は立ち上がると、左手を握って、拳を右の手のひらと重ねる。長い袖に隠れており手そのものは見えていない。
扉が開いて黄飛虎が入ってくると、その両手を少し上げて礼をした。拱手という、高い身分の者たちが簡易的に行う一般の礼だ。
「休んでいるところすまない。楽にしてくれ」
「…あぁ。茶でも飲むか?」
「かたじけない」
「……座って待っててくれ」
少し嫌そうに答えてしまうと、黄飛虎は困ったようにしつつ、壁際に置かれた長椅子に腰を下ろした。長居する気か、という唯斗の感情は伝わってしまっているだろう。
燕青が用意してくれていた茶器に湯を注ぎながら、茶葉が開くのを待っていると、黄飛虎は漂う香りに「良い香りだな」と述べた。
「燕青が調合してくれた茶葉だ。長閑宮の庭園で育てられている桃と茶を使って自分で作ってくれたんだ。俺も、前の王も、嗜好品を他国から取り寄せてる場合じゃないって、ありあわせのものしか求めなかったから」
「それでこの香りとは、彼はやはり優秀な人物なのだな。先ほど少し話したが、納得だ」
どんな話をしたのか気にならないではなかったが、とりあえず、唯斗は茶を入れる。湯飲みに注がれた茶は良い香りを立てているが、やはり燕青や蘭陵王が入れてくれるときとは比べ物にならない。
茶を入れることも最低限でしかできないのだな、と自嘲する。
湯飲みを渡すと、黄飛虎は香りを軽く吸い込んでから一口含む。
「うむ、うまいな。ありがとう采麒。隣にどうだ」
「…、では失礼して。それで、ご用向きは」
断るわけにもいかず、唯斗は黄飛虎の右側に腰をおろした。上質な長椅子は、黄飛虎の体が大きいため初めて狭く感じた。
そうして要件を尋ねた唯斗だったが、そういう言い方をしたいわけではないのに、なぜか、そんな不躾な言葉になってしまう。どんな関係であれやることをやる、と決めたものの、どうしても感情が滲んでしまうことに自分でも困惑した。
黄飛虎は軽く息を吸い込んでから、茶器を椅子の横の卓に置き、そして隣に座る唯斗に軽く頭を下げた。
「…すまなかった。才を顧みなかったのは某であったのに、あまりに心ないことを言ってしまった。王をなくしてこの2年近く、采麒がどのような思いで国を支え続けてくれていたのかも慮ることなく、無遠慮であった。申し訳ない」
責任も唯斗が怒った理由も、すべて余すことなく述べた上で謝罪してみせた。これ以上の誠意ある謝罪などないのではないだろうか、というほどのものだ。王である前に人として、黄飛虎はこのように言ってくれている。
そう分かれば、これ以上の怒りの感情の継続は不可能だ。
「…、俺も、子供じみたことをしてしまい申し訳ありませんでした。この国の麒麟は、代々おとなしく落ち着いた温厚な民の気性を濃くするものだそうだけど…俺は、あんまそうじゃないから。茶だって満足に美味しく入れられないし」
「いや。お主の怒りは正当なものだ。才の民とて理不尽には声を上げるとも。むしろ、普段は温厚でもやるべき時はやる真面目な民の性質が強いからこそ、采麒はこれほど多くの民を助けることができたのだろう」
「強制的に故郷を追うことが真に助けなわけが…」
食い下がった唯斗に、黄飛虎は言葉を遮る。
「民は間違いなく、お主に助けられた。采麒が踏ん張って、穢れも厭わず合理的な判断で朝廷を支えたからこそ、民は豊かな隣国に逃れられたのだ。皆、感謝していた。自分と大切な者たちの命が繋がったことを。国外の民をまとめていた某だから分かるとも」
「民が…」
「ほかならぬ采麒が民の大移動を指揮しているのだと知っていたから、民の大半はそれに従って隣国へ逃れた。隣国も采麒の直接の頼みであったから、荒民たちを円滑に受け入れてくれた。明日をも知れぬ夜の飢餓も、妖魔に襲われる恐怖も、親や子をなくす孤独も、すべてお主が取り払って見せたのだ」