brise de printemps 2−7


「お、出たか。明日も明後日も天気大丈夫そうだから、チリまで問題なく入れると思うぜ」

「んー」


生返事になっている自覚はあるが、唯斗はシャルルの左側に腰を下ろす。そして、きょとんとしているシャルルに凭れた。
咄嗟にシャルルは左腕をソファーの背もたれに回して場所を開けてくれたため、唯斗はシャルルの上体に凭れながら胸板に頭を乗せた。シャルルの左腕は背もたれから唯斗の肩に回る。
シャルルの胴体に抱き着くようにして唯斗も腕を回すと、ついにシャルルは呻くような声を出した。


「…可愛すぎる……」

「我慢してる?」

「めちゃくちゃしてますけど!?」

「あはは」

「ったくもー…シラフでも甘えてくれよ、唯斗」

「恥ずかしいから無理。や、まぁ、シャルルから来てくれる分には余裕なんだけどな。自分からってのは、もうちょっと待って」


まだ自分からというのは酒の力がないと無理だ。気恥ずかしいというのもあるが、本能的に、拒否されたらどうしようという恐怖はどうしても拭えない。
それは口にしなかったが、恐らくシャルルはそこまで分かっているのだろう。唯斗の頭を撫でて仕方なさそうにする。


「しょうがねーなー。ま、俺が甘やかすからいいけどさ。いつでもこうしていいんだって分かるまで、ドロッドロに甘やかしてやる」

「俺が自分からいつでもくっつけるようになったら?」

「そりゃもう、ドロンドロンのデロンデロンに甘やかすぜ」

「なんだそれ」


思わず笑ってしまうと、シャルルもおかしそうに笑った。
どんな表現だとひとしきり笑ったところで、テレビが切り替わる。ニュースから、まったく分からないドラマになってしまった。翻訳礼装のおかげで何を言っているかは分かっても、前後の繋がりなどが分からない。シャルルも飽きたようで、テレビは消してしまった。
同時に、室内には夜の静けさが戻ってきた。

それにしても、と唯斗は不思議な気持ちになる。まさか、こんな時間を今更過ごすことになるとは。


「…なんか、変な感じだな。人理の焼却を破却して、時計塔から逃亡する生活になってから初めて、『ただいま』とか『おかえり』とか言ったり、一緒に飯作って一緒に食ったり、そんな当たり前のことしてる。今までの生活ではありえなかったのに」

「唯斗…」


ぽつりと言った言葉が静かなリビングに響く。

初めてだったのだ。帰ってきた誰かに「おかえり」と声をかけたのも、自分で用意した食卓を自分と誰かで囲むのも、誰かとの買い物や洗濯、テレビをソファーで一緒に見ることすら、唯斗は今までしたことがなかった。


「でもそういうの、シャルルが一緒で良かった。普通の人間みたいなことしてるけど、どこまで行っても俺は普通にはなれないし、そもそもシャルルは人ですらない。それでも俺は、これでいい。シャルルと一緒がいい」


すり、とシャルルの胸元に顔を寄せると、唯斗の頭を優しく撫でる手つきがさらに柔らかくなる。


「俺だって初めてだぜ、こんなの。そもそも一応王様だし、そうでなくとも冒険者だし。勇士たちは仲間で対等な間柄だったとはいえ、立場の違いは絶対だった。月の戦いも、穏やかな時間もあったけど、あのキャンプだって日常じゃあない。こんな当世の人間の暮らしみたいなことするなんて、思わなかったさ」

「…まぁ、そっか。シャルルも初めてってことになるか」

「そうそう。だからすっげー楽しい。どこまでも続くまっ平らな大地、高くて果てがないような青空、乾ききった山と大西洋。この先、壮大なアンデス山脈を越えて、地球最大の海たる太平洋に出る。古代帝国のあった場所やジャングルを抜けた先には現代最強国家があるんだろ。何百メートルって高さの建物があるらしいじゃん。楽しみなことだらけだ」


まさに冒険者らしい。王としての気質より、伝説の冒険者としての性質の方が強いだけあって、ここから先の旅路が楽しみで仕方ないそうだ。


「その旅は、隣に唯斗がいる。ずっと一緒にいるんだ。なんつか、こんな幸せでいいのかって申し訳なくなるレベルだよな。『ごめんなー!俺めっちゃ幸せだー!!』って叫んで回りたいくらいだ」


なんとも面白おかしい喩えではあるが、それでも嬉しくて、唯斗は抱き着く力を強める。


「……俺という存在を、そこまで肯定して望んでくれる人なんて、ずっといなかった。俺なんかにそんな大それたこと、って思いは、きっとずっと残る。でも…シャルルが一人、そうやって俺を肯定してくれるだけで、世界中から否定されても大丈夫だと思える」

「大丈夫さ。唯斗はカッコ良くて素敵な人だからな、普通に何も知らない人と接する分には、むしろめちゃくちゃ人気だと思うぞ。まぁでも…もし世界から弾かれても、その時は今みたいに俺と二人きりになるだけだ。だから安心して、俺の傍にいてくれよ」

「…ん、ありがとな」


言われるまでもなく、唯斗にとってシャルルの隣が世界で一番安心する場所だ。
オルレアンで召喚に応じてくれた時も、ガウェインとの戦いに駆けつけてくれた時も、変わらずシャルルがいてくれるからこそ、唯斗は立っていられるのだ。



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