唯一と一番−11


11週目の空港。冷えすぎた空調の風を受けて、唯斗は目を開く。
清潔な床に膝立ちになった状態の唯斗は、すぐ左側で呆然としているロビンを見遣る。

様子からして、目の前で頭の上半分が損壊したのを見届けたのだろう。そっと頬を撫でているのは、大量の血しぶきで真っ赤に染まったからか。

そんな二人の尋常ならざる様子に、藤丸たちも極めて心配そうに見下ろしている。


「唯斗…?ロビン…?」

「あ、あの、お二人とも…」


藤丸とマシュは二人に恐る恐る声をかけてくれたが、唯斗は答える前に、目からこぼれた水滴に気づく。頬を伝うものは、血ではなく涙だ。
どうやら唯斗は泣いているらしい。嗚咽を漏らすでもなく、ただ、目から水滴が次々と零れて床に落ちていくのだ。


「あ…マス…唯斗、悪い、俺、俺は何を言って、すまねぇ、」


ロビンは狼狽えながら、唯斗を抱き寄せる。その肩に顔を押し付けられ、互いに膝立ちの状態で抱きしめられていた。


「ちょっとロビン、これはいったい…唯斗、大丈夫?」


藤丸はさすがに見かねたのだろう、二人の近くにしゃがんで唯斗の様子を窺う。しかし、唯斗は返事ができなかった。


「ぁ……っ、?、」


声が、出ない。掠れた呼気が漏れるばかりで、声を出そうとすると喉が引きつって何も言えない。
ロビンから離れて、喉を押さえて声を出そうとしたが、まったく言うことを聞かなかった。涙の跡を乱暴に拭ってそれでも声を出そうとすると、BBの声が落ちる。


「心因性の発声障害でしょう。声帯で内転が起こって、声の通り道が塞がっているのです。無理に出そうとすると機能性発声障害に悪化します」


腐っても健康管理AIだからか、BBは唯斗たちの近くに現れると的確に唯斗の状態を告げた。


「BBちゃん、それってストレスで声が出せなくなってる、ってことだよね」

「その通りですよ、先輩。ということで緑茶さん、ちょっとあっち行っててください」

「な、いきなりなんだよ」

「いいから。このままずっと唯斗さんの声が出なくてもいいんです?」

「チッ…」


ロビンは唯斗から離れて、ゲートの方へと向かう。場には唯斗と藤丸、マシュ、ジャンヌ・オルタ、牛若丸が残される。


「さあ唯斗さん、落ち着いて、深呼吸をしてから声をゆっくり出してみてください」


唯斗はBBに言われるまま、深く呼吸をしてから、ゆっくり喉を開いて声を出そうと試みる。


「…あ、あー…あれ、出る」

「良かったですね。心因性の場合、特定の場面だけに発声障害が限られることがあります。大勢の前で喋る、大事な面接である、とか。今分かった通り、あなたのストレスの原因はあの緑茶さんです。彼がいなければちゃんと喋ることができる」

「え、死ぬことが原因じゃないの?」

「原因の一部でしょうが、少なくとも声が出せないのは、ロビンさんの前だけ。要は、ロビンさんの前で声を出せない、と脳が強く認識してしまっている状態なんです」


BBの説明では、心因性の発声障害においては、ある特定の条件において声が出せなかった、あるいは声や喋ることにおいて重大な失敗をしてしまったとき、恐怖を覚えてしまい、脳が勝手にその条件では声を出せないと思い込んでしまっていることが原因なのだという。
そのため、いくら声を出そうとしても脳は異なる信号を送ってしまい、声帯に相反する動きが行われ、声が出なくなっている。

もちろん、他にも様々な理由や条件があると言うが、少なくとも唯斗の場合はこのパターンとのことだ。

BBはロビンを呼び戻し、再び全員揃うと、何度目かも分からないため息をつく。


「ということで。唯斗さんはロビンさんがいると声を出すことができません。ロビンさんに対する強いストレスが原因です。これを解決しないと、たとえ特異点を修復しても、これから先の活動に支障が出るでしょう。ロビンさんは心当たりがあるようですから、そこは彼氏さんに何とかしてもらうとしましょうか」

「私、唯斗のこと泣かせたら承知しないって言ったよね?」


藤丸の目が据わっている。ロビンは両手を挙げて降参ポーズを取った。


「お叱りはあとでいくらでも受けますよ。今は、唯斗と一緒にいさせてください。ひでぇことを言っちまった自覚はある。何よりまず、俺がすべきだったのは、その死の因果とやらから唯斗を守ることだった」


そう言うと、ロビンは唯斗の目元を拭う。少しだけ残っていた涙の跡をふき取ってくれたようだ。


「まあ、唯斗がいいならいいけどさ。でもカルデア戻ったら覚悟しててね」

「甘んじで受けますよ」


とりあえずその場はなんとかなったため、BBは飽きたようにいなくなり、一同は遅ればせながら今回のルーティンに入る。

歩き出した面々に続こうと唯斗も立ち上がったが、ついよろめいてしまう。歩き出していたロビンの背中に声をかけようとして、声が出ないことを思い出す。

なんとか、つんのめるように一歩を踏み出して、ロビンのパーカーの捲られた袖をつかむ。振り返ったロビンは息をつめて、唯斗の肩を抱き寄せる。


「…悪い、言った傍からだな」


首を横に振って気にするな、と伝えるが、ロビンは苦笑する。


「俺の背中の後ろで、声出せなくて気づいてもらえずにいるあんたがいる、なんて、考えただけで自分を殺したくなる。ずっと隣に置いとかねぇとな」

(…悪い、つか、そもそも念話で話せばよかったな。でも声出せないの、面倒かも)

「無理すんなって。ゆっくりでいいですよ、前回俺がひでぇこと言いすぎた。完全に俺のせいだ。あークソ、思い出すだけで自分のことボコボコにしたくなるな。やっぱ藤丸に頼んで一回ランサー勢にボコしてもらうか…」

(別に、そこまで気にするようなことじゃ…)

「いや気にするに決まってるっしょ。疑うようなこと言って、挙句に逆ギレって…あんたをほったらかしてたのは、俺だっていうのに身勝手な話ですよ。もっと怒っていいんですよ、あんたは」


唯斗は曖昧に笑って返す。きっとそんなことはできない。面倒だと思われたら、鬱陶しいと思われたら、いらないと言われたら。そう考えるだけで、喉が再び引き攣るような気がした。



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