brise de printemps 3−15
バイーア・デ・カラケス通りを左折した魔術師を追っていた唯斗は、一度跳躍して反対側の家の並びに飛び移り、カラフルな壁面の瀟洒な通りの右側の屋根を伝って走る。
(シャルル、やっぱ人目がある。あいつが横道に逸れるまで攻撃は待ってくれ)
(おー。にしても、結構タフだなぁ)
シャルルが言う通り、背中に激痛があるだろうになかなかの速さで魔術師は走っている。シャルルはそのすぐ後ろを、唯斗は屋根の上を、それぞれ魔術師を捕捉しながら追いかけていた。
やがて、魔術師は右手の路地に入った。広めの交差点に続く薄暗い路地だ。
唯斗は大きくジャンプして、建物の上をショートカットして路地裏の先に飛び、魔術師の前に着地して迷彩を解いた。
「止まれ」
「っ、」
魔術師は息を飲んで振り返るが、すでにそこにはシャルルが霊体化を解いて立ちはだかっていた。挟み撃ちだ。
しかし魔術師はニヤリとする。恐らく罠だろう、彼の庭のような旧市街だ、それくらいはあって当然である。
唯斗はすでにそれを見越していた。
「
真の名を告げよ」
「なっ、」
唯斗は辺りにかけられていた術式を瞬時に浮かび上がらせる。罠に入った人物の魔術回路に干渉してスタンさせるような類のものだ。恐らくこれくらいなら、シャルルには効かずシャルルに解除されていただろうが、唯斗が自分でやってしまうことにした。
途中で適当に拾っておいた、魔力を籠めた小石を術式にぶつけて干渉させる。すぐに術式は唯斗の魔力量に負けて破綻した。
バチッという音とともに術式が解除され、同時に、シャルルが魔術師を背後から取り押さえて地面に叩きつける。
骨が折れた音がしたが、魔術師は呻くだけで悲鳴は上げない。痛みを和らげているようだ。
唯斗は遮音結界を張ってから、魔術師に近づいた。
「ここで見たことは誰にも口外しないと約束してもらおう。ヴィアン」
唯斗は手元に、車の中に用意していたスクロール紙を転移させる。
自己強制証明、魔術師同士の契約ごとにおいて最も厳格なものであり、魔術回路を用いて契約者の命を賭すものだ。
魔術師と戦闘になったときを想定して準備していた。そうそうお目にかかれる代物ではないため、カルデアにいるうちに、エルメロイ2世などに手伝ってもらって作成した。
署名などのイカサマをしても、術式が作用しないためすぐにバレる。互いに名を明かすことになるが、この契約自体が唯斗のことを他言しないという内容であるため問題ない。
唯斗の条件は「契約成立後にキト市を出て以降、キト市内に生涯にわたって足を踏み入れない」こと、魔術師に課される制約は「雨宮・グロスヴァレ・唯斗およびそのサーヴァントに関する一切の情報を他者にいかなる方法をもってしても伝達せず、これを試みない」こととしてある。
互いに何かを失うわけではない、ギアスまで使用しての契約にしては優しいのではないだろうか。
魔術師の方は、グロスヴァレの名に思い当たる節があったようで、複雑な表情を浮かべている。しかし、シャルルに命を握られている状況ということもあって、深入りせず、術式に同意。この男の魔術回路には、ギアスの呪いがかけられた。
「これで二度と俺たちは関わりあうことはない。じゃあな。行くぞセイバー」
唯斗はそう言い残し、最後に魔術師に昏睡魔術をかけてから踵を返す。魔術師は昏倒し、気絶した。
「悪いな!ま、文句はなしってことで」
シャルルもそう言ってから、二人で魔術師から離れ、旧市街の坂を下っていく。
こちらも条件を守る必要があるため、とっととこの街を離れなければならない。条件が有効化されるまでは呪いも有効にならないためだ。
シャルルとともに、迷彩で見えなくなってから家々の屋根を飛び越えて5月24日広場まで戻ると、すぐに車に乗り込んで北部へと走り出す。
28B号線の道路を北に向かって、コロンビア国境まで進むのだ。
そうして30分かけてキト市を出ると、そのまま3時間ほど車を走らせてコロンビアとの国境まで到達した。事前に目星をつけていた、検問近くの農村の小さな農道から迷彩をかけてステルス通過を行い、コロンビア領内に入る。
そして、最寄りの都市イピアレスの郊外の、車も人もない道で停車した。
「…はぁ〜、コロンビア着いたな。さすがに緊張した」
「今更だけど、怪我ないかい?」
「大丈夫。それより、あいつにはギアスがあるとはいえ、他に魔術師がいた可能性はゼロじゃない、俺たちがキトを出るまでに他の魔術師に起こされて俺たちのことを話したかもしれない。めちゃくちゃ薄い可能性ではあるけどな」
「ちょっと行動早めるか」
「そうだな」
ただ、これから話を詰めるには、すでに時刻も午前1時ということもあり、睡魔と緊張が解けたことによる安堵で思考が緩む。
それを見て、シャルルは苦笑してエンジンを切った。
「しょうがないから、今日はここで野宿しようぜ。日が昇るまで休もう」
「…ん、わかった」
唯斗はシャルルに促されて後部座席に移動する。座席を倒してフラットにして、ごろりと横になる。シャルルはいつも通り、腕枕で唯斗を抱き締めるようにして傍で横になった。
「…なんか、聖杯戦争ってはああいう感じなんだろうなって思ったぜ。久しぶりにマスターとサーヴァントってのをやったな」
優しい声音でそんな言葉が頭上から聞こえる。シャルルの太い二の腕に頭を乗せて、その胸板の温もりに顔を寄せる。
「確かにな。初めてセイバーなんて呼んだわ。でも、俺たちには縁がないな、聖杯戦争なんて」
「そうだなー。世界が平和になりますように〜くらいしか思い浮かばねーもん、願いなんて」
「あぁ。自分たちのことは、自分たちで掴み取れる。俺たちならできるって、思うから」
「…唯斗の言う通りだな」
後頭部を撫でられて、眠気が一気に立ち上がる。
もっと言えば、シャルルが隣にいてくれるなら、他に望むものなどないのだ。実際、第一特異点の聖杯はシャルルの現界維持と、現地通貨の出現くらいしか使い道がない。
この温もり以外の願いなどないのだから、聖杯戦争など、二人には縁がなかった。