brise de printemps 3−24
メキシコシティを出て5日、カルデアを脱出して36日目。
サントルイスポトシ、トレオン、チワワ、そしてシウダーフアレスとメキシコを北上し、米国との国境都市シウダーフアレスで一泊を明かした。
朝食を取ってから、二人はチェックアウトして車に乗り込み、いつもより緊張した面持ちで発進する。
これから、壁のない国境を迷彩で通過するのである。
米国とメキシコの国境は、人の住む場所では物理壁によって隔てられており、砂漠地帯では理論壁が存在する。監視カメラや警備隊などによるもので、物理的な壁がないからといって国境を越えても大抵バレる。
しかも、多くは砂漠などの人里離れた場所であるため、理論壁国境を越えても生きて米国内の最寄り都市に辿り着くことはほぼ不可能に近かった。
シウダーフアレスは国境最大の都市であり、多くは物理壁によって隔てられているが、南東部のリオ・グランデ川沿いに壁がない区画がある。この川が国境線を形成しているが、監視カメラなどの理論壁だけになっているのである。
都市から近いものの、物理壁の間に僅か10キロほどだけ空いた隙間であり、警備隊や監視カメラによって厳重に見張られている。
いったん市街地を抜けて、人目のない場所で迷彩機能をオンにしてから、畑のあぜ道を進んでいく。
「そろそろ理論壁の区画になる。轍を消すから速度落としてくれ」
「了解。にしても、やっぱ警察多いな。川の向こうにも結構いる」
シャルルが目を凝らして国境の向こうを確認してくれたが、やはり警備がかなり厳しい。
事前に想定していた手法はいくつかある。これまでのようなザル国境とはわけが違うためだ。
まず一つ、このまま車で川を突っ切る方法。轍を消すのはいいとして、川を超えるときに不自然に流れが止まるため怪しまれる可能性があり、濡れた状態で向こう側の砂地に入るのもリスクだ。人目が想定よりなかったときに使う。
次に、カブラス村の東、米国側でアカラ近郊にある勾配調整構造物を渡る方法。この川は国境線であるため、流路が変わることで国境がずれるのを防ぐ必要があるが、その流れをコントロールするための水門のようなものがある。
これは事実上、鉄橋のような役割を果たしており、徒歩で不法入国を試みる者たちがよく集まる場所だ。
当然、警戒も厳しいため、迷彩で姿を隠して渡り、車は対岸で唯斗が転移させる。
最後に、いずれの方法も警備が厳しすぎて実行が難しい場合、適当な場所でシャルルが唯斗を抱きかかえて高く跳躍し、対岸に着地してから車を転移させる。ある程度魔力を感知される恐れがあるため、それなりにリスクがある。
「…これは、3つ目の方法だな」
「そうだなー、どこも警備隊が多い。橋のところも軍がいる。消えた2016年問題で混乱してるから、警備厳しくなってんのかな」
「そうかもな。国連もかなり混乱してるし。仕方ない、飛ぶか」
極力国境に近いあぜ道の木々の影で車を停車させ、迷彩をかけたまま、こっそり外に出る。唯斗は魔術で二人にも迷彩をかけた。
シャルルはその状態で唯斗を抱き上げ、唯斗もシャルルの首元につかまる。
「…よし、着地点を1キロ先の水路付近、ソトロードの終点に設定。周辺に人影なし、警備車両もない。準備はいいかい?」
「ああ、頼む」
「おー!じゃ、しっかり奥歯噛みしめて開くなよ」
そう言って、シャルルはぐっと足に力を籠めると、一気に地面を蹴った。慌てて目と口を閉じた途端、空中に勢いよく体が飛び上がり、朝の涼しい空気を切り裂いて、耳元を風が切る。
必死にシャルルにしがみついていると、100メートルほどの高さまで飛んでから、落下を開始する。
内臓が置いて行かれるような浮遊感に耐えていると、シャルルは唯斗の後頭部を掴み体を安定させる。
「そろそろ着地するぞ!」
シャルルの声を聞いて、唯斗はなんとか薄目を開けて魔術を展開した。
「
風よ…!」
それによって風が巻き起こり、落下する速度を下げていく。勢いが殺されていき、二人は位置エネルギーを急減させていった。
そうして10メートルほどまで来たところで、風を止める。シャルルは鮮やかに着地して、腰を低く落として勢いを完全に殺してみせた。唯斗には一切の衝撃がなく、恐る恐るちゃんと目を開くと、シャルルはしっかり水路の脇、小さな道が途切れる場所に立っていた。
ふわりと風が立ち、1月の砂漠という15度ほどの気温に風が心地よく感じる。
「着いたぜ、唯斗。アメリカだ」
爽やかに笑ったこの男はいつだって、春風を纏っている。
ここはアメリカ合衆国、テキサス州。カルデアを逃れた二人の目的地であり、新たな生活を始める国だ。