サヘルの夜明け−6
2024年1月11日
5日後、事態はさらに悪化していた。
橋本の見立て通り、備蓄を増強した翌7日には、ISがデルタ州南部で大攻勢を開始、土着宗教の少数民族地域を含む一帯で虐殺や略奪を繰り返している。これによりデルタ州南部も危険レベル4に引き上げられた。
8日には、南方高原州に多く暮らすムスリムのモーレ人の武装組織、ムスリムモーレ連合/CMM(Coalition des Moore Musulmans)が武装蜂起を宣言し、南方高原州の30の村と2つの町を占領。さらに、DASAKもしくはCMMによる、ラジュバドゥグー州のキリスト教マンデン系部族への虐殺も確認されている。
もともと、モーレ人の国内の人口は400万人であり、プラ人に次ぐ2番目の多さとして国民の2割を占める。
そのうち半分ちょっとの220万人がムスリム、180万人がキリスト教徒だ。そしてキリスト教徒のモーレ人はほとんどがラヴァルヴィルなどの都市部に暮らしており、同じくキリスト教徒のプラ人とともに、この国の政治や経済における特権階級だ。
そんなキリスト教徒のモーレ人に対する反発から、ムスリムのモーレ人が結成した組織がCMMであり、プラ人の特権に反発するマンデン系民族からなるDASAKとは思想的に相性が良い。恐らく合流するだろうとみられている。
この状況のため、邦人の帰国も進んだ。11日現在の邦人数は64名となっている。
そんな中、新たな警備員がやってきた。
時刻は朝10時、夜勤のムーサと交代したウスマンに呼ばれ、唯斗は屋外に出る。すでに朝だというのに太陽が厳しい。
「おはようございます、唯斗さん。新人をお連れしました!」
ムーサと同期にあたる警備員、ウスマン・バリー(Ousmane Barry)は唯斗の1つ上の29歳で、やはりムスリムのプラ人だ。陽気な性格でおちゃらけたところはあるものの、腕は確かだ。そしてやはり子供が3人もいる。
ウスマンの隣にいるのは、今日から配属された警備員で、今日は昼を担当するマリック(Malick)という青年だった。
「確かマリックだったな、大変な状況だがよろしく頼む」
「はい、よろしくお願いします」
警備員だけあって寡黙な様子だ。唯斗はもともとそんなに話す方でもない、最低限の挨拶を済ませた後はウスマンに任せる。
その後室内に戻ると、普段の領事業務を行うため領事業務室に入る。すでに出勤している二人の女性がパソコンのキーボードをたたいていた。
一人はインナだが、もう一人の女性、クレア・カボレ(Claire Kaboré)が唯斗のデスクまでやってくる。
「唯斗さん、キリスト教徒の警備員は雇えなかったんですか?」
「キリスト教徒で警備員やってるやつは少ない。俺よりよく知ってるだろ?」
クレアはキリスト教徒のモーレ人だ。23歳と若く、ここでは勤続1年目である。
「そもそも、警備員の宗教なんて関係ない。何か問題あるのか?」
「信用できるんですか?この状況で大使館の警備を進んでやるなんて、何か裏があるかもしれません」
「疑いだしたらキリがない。この国の7割を疑うことになるぞ。でも、もし何かされたり嫌なこと言われたりしたらすぐ報告してくれ」
「…はい」
クレアはしぶしぶといった様子で引き下がる。もともと、クレアにはイスラモフォビア、ムスリムに対する嫌悪があるのは知っていたが、この状況でそれが顕在化しつつあるようだ。
面倒だな、と思っていると、クレアが席を立った。トイレに行ったらしい。
それを見て、インナが口を開く。
「あの子、昔プラ人のムスリムの男に襲われかけたことがあるらしいんです。幸い未遂だったみたいですけど。もともと敬虔なカトリックってのもあって、あたしにすら突っかかってくることありますもん」
「こら、あまりプライベートなことを他人に話すもんじゃないぞ。まあ、助かりはするけどな。分かった、注視しておく」
インナはラヴァルヴィルの高所得家庭の生まれだ。都市部のキリスト教徒は世俗的であり、インナもキリスト教徒といえどかなり考え方は先進的だ。都市部のキリスト教徒は概してそういう傾向にあるらしく、インナは夫と離婚して息子を一人で育てるシングルマザーでもある。
一方、クレアは南方高原州出身の敬虔なカトリックであり、田舎の出身である。恐らく、インナに対しては都市部と地方、プラ人とモーレ人、世俗と敬虔さということで、ことごとく馬が合わないのだろう。過去に襲われかけたことがあるということも、イスラモフォビアになるには十分な理由だ。
インナはインナで、自身が特権階級である自覚がない。差別されることのない側だからこそ、差別される側への配慮に欠けることが往々にしてあった。
このような日常の緊張感が高まると、一気に社会は崩壊する。先輩外交官やJICAの職員からよく聞く話だ。橋本に報告しておこう、と唯斗はため息をつきながら席を立った。