サヘルの夜明け−7


橋本に先ほどの会話を報告した際、唯斗は米ドルの引き出しを指示されたため、その足でウマルに声をかけて車で市内に出た。

大使館は外務省に与えられた口座で米ドルを引き出すことができるが、今回は不測の事態を見越してということで、橋本が本省から許可を得ている。
そのため金額も大きく、唯斗はいよいよ緊急事態が発生しかねない状況なのだと、再び緊張で胃がキリキリとしていた。

この米ドルは、いざというときに何かを購入するなどの用途だけではない。軍や警察に渡す賄賂や、武装組織に銃口を突き付けられたときに躱すためのものとしての用途も想定されている。

都心部の銀行に向かう必要があるため、車でラヴァルヴィル1区に向かう。ラヴァルヴィルはパリのように区割りされており、1区から11区までがある。
日本大使館があるのは3区で、隣接する1区にはビジネス街や官公庁、旧市街などが広がる。

6車線の広い道路を走っていると、道端に布をしいて休む人々の姿が散見された。もちろんピクニックなどではない。服装からしても、あれは国内難民だ。
南西部でのDASAK、CMM、ISによるキリスト教徒・土着宗教の少数民族に対する襲撃は悪化しており、すでに5万人が死亡、60万人が国内難民になっていると推計されている。
国連や米国はこれを批判しており、政府軍は独立を宣言した西部3州に加えて南方高原州やデルタ州でも空爆を実施している。特に西部3州の州都、州名と同じティガドゥグー、ラジュバドゥグーと西方渓谷州の州都ティゼグワ(Tizegwa)は壊滅的な被害が出ている。そこからの避難民も多いのだ。


『デルタ州の州都シャールヴィルを制圧したJMASは、デルタ州北部一帯の制圧を目指して進軍を続けています』


すると、車のラジオが国営放送のニュースを流し始めた。ウマルが気を利かせてくれたようだ。
状況の悪化は異教徒への虐殺だけではない。2日前、デルタ州北部のムスリムプラ人を中心とした武装組織JMASが武装蜂起し、デルタ州の州都であるニジェール川沿いの都市シャールヴィル(Challeville)を占領したのである。

全ムスリム戦線/JMAS(جبهة مسلمي الساحل)は、民族ナショナリズムにイスラーム思想を後付けしたDASAKとCMM、そしてシャリーアを曲解するISにも反発する、いわば「普通の」ムスリムたちによる組織だ。
ムスリムのプラ人が西部で最も多いデルタ地域で伸長し、北部で大攻勢をかけている。

JMASはより普遍的なイスラームの思想に基づく組織であることから、大半のプラ人にとって受け入れやすく、西部と違って激しい戦闘になっておらず、虐殺も生じていない。
それにより州都をほぼ無血開城しており、州知事との交渉をしているところだ。

どことなく市内も慌ただしい。先ほどから軍の車両がひっきりなしに通り過ぎていく。
シャールヴィルはラヴァルヴィルからニジェール川を4時間ほど車で上流に向かったところにある都市であり、ラジュバドゥグーとラヴァルヴィルの中間に位置する。
ティガドゥグー、ラジュバドゥグー、シャールヴィルとニジェール川の都市が次々と戦場と化していき、ラヴァルヴィルに迫っていた。


「…唯斗さん、やはり大使館は閉鎖されるんでしょうか」


すると、運転するウマルがそんなことを聞いてきた。あまりこちらの事情に首を突っ込まない人物だ、こういう質問は珍しい。ただ、彼の雇用に直接関わるため気持ちは分かる。それに、状況は芳しくない。


「可能性はある。そんで、ISやDASAKは西側への嫌悪から、西側に関係していた市民にも攻撃するかもしれない。そうなったら現地協力者も邦人として日本に避難させられる。ウマルが日本に来たいかどうかはまだ聞かない。ただ、いずれにしても、家を片付けておいた方がいい」

「……はい」


反仏色が強いDASAK、西側に否定的なISは、外国人や外国人に協力していた国民に危害を加える可能性が高い。アフガニスタン退避で改正された自衛隊法においても、緊急退避に際して現地協力者も含めて邦人として扱い、日本に避難させられることになっている。実際、アフガニスタンからは100人近い現地人が日本に避難した。

ウマルは東部のムスリムプラ人とザルマ人が暮らす州、ジャーリバ州(Jaaliba)の出身だ。ジャーリバ州の政府軍将校は珍しくムスリムであり、ジャーリバ州管区の軍はきちんと州を守ることができるだろう。そのため、日本という異国の地ではなくジャーリバ州の親族を頼る選択肢もあるはず。

西アフリカと日本は、地理的にも文化的にもあまりに遠い。安全であるからといって、幸せとは限らない。



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