サヘルの夜明け−8
2024年1月12日
前日のうちに、JMASはデルタ州北部一帯を制圧、州知事はJMASへの協力を宣言した。
それに伴い、外務省はデルタ州全域と南方高原州西部の危険レベルを4に引き上げた。同時に、それ以外の全土を3に引き上げており、正式に邦人に対して退避を促した。
唯斗は11日夕方のうちにすべての邦人に対してメールを送信。幸い、まだ残っている邦人は全員たびレジを含む在留者の緊急連絡網に登録してくれているため、連絡がついている。
そして本日12日、日系企業の幹部を含む30名が一気にパリへのフライトで出国することになっている。
朝9時、3人で大使の部屋に集まって本日の予定に関するブリーフィングを行う。
「本日、私と橋本大使は11時より米国大使とのミーティング、その後14時過ぎにラヴァルヴィル国際空港にてパリ便に搭乗する邦人30名の見送りを行います。そこで写真を撮影し、本省に送付し広報で使用します」
橋本、および倉石は米国大使館での打ち合わせをしたのち、それら邦人の見送りのために空港へ向かう予定である。わざわざ見送りを行うのは、相手が日系鉱業企業の幹部ということと、その幹部がコネを使ってパリへのフライトに空席を確保し、自社以外の邦人にも座席を提供してくれたという背景もあってのことだ。
また、そこで軽く写真を撮影し、それを外務省に送って広報活動に使用する。
唯斗は出国者関係の在留情報の更新などの領事業務を行うほか、まだ残っている日本人とのコンタクトを行う。
すると橋本は、普段より重い雰囲気で口を開く。
「雨宮君、知っての通り、今日にもDASAKとCMMの支配領域が接続することになる。ISと合わせて三者が合流するだろう。そろそろ、大使館の閉鎖や緊急退避の可能性を想定して、館内の整理を頼む」
「…はい、承知しました」
「あと、倉石君のご家族も、今日から公邸で生活させよう。君たちも大使館で寝泊まりするように。外をうろつくのは危険だ。各々、今日帰宅したら自宅も整理しておきなさい」
いよいよか、と唯斗は何とか「はい」とのみ返答する。
公邸には橋本の妻がおり、倉石は妻と子の3人暮らしだ。唯斗は独身であり、大使館関係者の日本人はこの6名である。
大使館には仮眠室やシャワー室など宿泊可能な部屋がいくつかあり、いざというときには外交官が大使館で寝泊まりできるようになっている。
ブリーフィングを終え、地上階で領事業務のためにパソコン作業をしていると、あっという間に時間が経つ。橋本と倉石が出発する時間となり、ウマルが車の準備を始めた。
窓口のカウンターから二人が顔を出す。
「それじゃ雨宮君、行ってくるから任せたよ」
「はい、お気をつけて」
橋本と倉石は頷いて、ウマルとともに米国大使館へ出発した。
同じタイミングで邦人への通知メールも終わり、唯斗はインナとクレアに声をかける。
「インナ、クレア。状況は悪い、場合によっては大使館が閉鎖される。大使館が閉鎖される事態になったら日本に避難することもできるから、残るか避難するか、考えておいてくれ」
唯斗の言葉に、インナとクレアは神妙に頷く。クレアは独身だがインナはシングルマザーだ。二人ともキリスト教徒ということで、このままISがラヴァルヴィルに到達することになればどうなるのか、想像に難くない。
それから少しして昼時になると、インナとクレアは持参していたパンなどを食べ始める。
唯斗はウマルがいないことや屋外になるべく出ない方がいい状況もあって迷うが、そこに意外な人物がやってきた。
窓口のカウンターから顔を覗かせたのは橋本加奈子、橋本大使の妻だ。普段は公邸におり、平日の日中は家事に追われているはず。
「加奈子さん、どうされました?」
「主人から、今日のお昼は雨宮君にも振る舞ってあげなさいって言われていてね。あと、倉石君とあなたがここで寝泊まりするというから、お部屋をお掃除しようと思って」
「そんな、私がやりますので」
慌てて唯斗はカウンターまで行くが、加奈子は優しく微笑む。
「いいのいいの、こんな状況でしょ?緊急退避とまではいかないけど、危なかったときは私も経験しているわ。あなたはお仕事に集中してちょうだい、日本人の命を預かっているんですもの」
「…はい、ありがとうございます。助かります」
橋本夫妻には息子が一人いるそうで、年齢はほとんど唯斗と同じらしい。東京で働いていることから、ここ数年の赴任は夫婦二人となっている。
そのためか、二人とも出会ったときから唯斗のことを息子か何かのように扱ってくれる。
家庭が崩壊していた唯斗にとっては、二人のそういうところが、気恥ずかしいが嬉しくもあった。