サヘルの夜明け−9
加奈子が作ってくれた昼食をとり、再び仕事に戻る。
やがて15時となり、予定されていたフライトを確認すると無事に離陸しているようだった。これにより、在留邦人の数は34名となっている。
このうち大使館関係者が唯斗を入れて6名、JICA職員が5名であり、民間人は23名だ。全員が日系企業の駐在員と家族であり、この中にはもう未成年者はいない。
まだ残っているのは、主に工場や本社の知的財産や会社資産の流出を防ぐための廃棄措置であったり、雇用している現地人の手続きであったり、といった業務のためだ。特に自動車工場の知的財産廃棄は大変だろう。
出国者の手続きをしていると、携帯電話が鳴る。この国で電話をするための業務用スマートフォンだ。相手はウマルだった。
「もしもし、雨宮だ。どうした?」
『空港で爆発がありました。ターミナルビルから煙が上がっています。まだ大使たちは戻っていません』
「ッ、」
唯斗は息を飲んだ。すっと体の内側が冷える感覚がするが、落ち着け、と自分に言い聞かせるように息を吐く。
「…危ないから、車のそばに待機してるんだ。そこは安全だな?」
『はい、しかし…』
「爆発は一度とは限らない。銃撃だってあるかもしれない。危なくなったらすぐ逃げろ。安全であれば、1時間ほど待ってほしい。それでもだめだったら、いったん大使館に戻るんだ」
『はい』
電話を切るが、ウマルは心配そうな声をしていた。ただの運転手を超えて、日本人への信頼と尊敬を常々口にしていた人物だ、大使たちのことを心から心配しているようだった。
念のため、唯斗は二人の携帯電話に連絡してみたが、当然、つながらない。
仮に爆発に巻き込まれたとして、怪我をしていれば救急車で病院に運ばれる。無事ならすぐに駐車場に戻ってウマルと合流するが、1時間待っても合流できなければ、それは病院に搬送されたと考える方が自然だろう。
唯斗はすぐにテレビをつける。国営放送は早速、空港の爆発事件を報じており、インナとクレアもそれを見て驚いていた。
「唯斗さん、もしかして…」
インナが心配そうに尋ね、唯斗は「この時間なら空港にいたはずだ」と答える。
唯斗は少し迷ったが、すぐに外務省の緊急用の回線に電話をかける。大使館の電話回線は特殊なものであり、衛星通信なども完備されている。
日本との時差は9時間、東京はすでに日付を越しているため、24時間待機している緊急連絡先への電話だ。
『はい、緊急連絡室。どうされました?』
「ピナルエサヘル日本大使館の雨宮、二等書記官です。今しがた、ラヴァルヴィル空港で爆発がありました。橋本大使、および倉石一等書記官がこの時間空港におり、現時点では連絡がついていません。事象発生直後のため、詳細は不明につき追って連絡します」
『っ、承知しました。こちらもモニターします』
詳細が分からない状態での本省への連絡は避けられるなら避けたいところだったが、ことがことだ。また、まずは一報を入れておくことで、向こうも警戒態勢を一段階引き上げる。より上の担当者が深夜に外務省に呼び出されることになっているだろうが、こればかりは仕方ない。
しかしそれから1時間が経過しても、橋本たちとは連絡がつかなかった。ウマルから連絡があり、やはり合流できなかったため、大使館へ戻ってくることになる。
唯斗は再び深呼吸をして携帯電話を手に取る。今度は、倉石の緊急連絡先である妻・倉石美紀である。
『はい、倉石です』
「大使館の雨宮です。今お時間よろしいでしょうか」
『はい…』
こちらの様子に、美紀の声音も固くなる。背後からは子供の声が聞こえた。現状、この国で唯一の日本人の未成年者である倉石の息子、倉石聡太だ。まだ7歳である。
「…先ほど、空港で爆発がありました。恐らくテロです。そして爆発発生時、大使と倉石さんが空港にいて、いまだ連絡がつきません」
『……え、それは…えっ…?』
「警察からの連絡を待つほかありませんので、今は詳しいことは分かりません。情報収集は私が行います。また後程連絡しますが、危ないので夕方以降は絶対に外に出ないでください」
『わ、かりました…』
「気を強く持ってください。明日にも、お子さんとともに公邸へ。危険なので敷地内に滞在していただくことになっています。こんな状況で申し上げるのは心苦しいばかりですが、今夜のうちに荷物をまとめておいてください」
か細い了承の声を聴いて、唯斗は電話を切る。スマホでゆっくり通話を終了しても意味はないというのに、なぜかゆっくりと切ってしまった。
そのまま今度は公邸へ向かう。視界がぼやけそうになるのを必死でこらえ、玄関で呼び鈴を鳴らす。
すぐに加奈子が出てきた。表情は硬く、報道を見ていたのだと理解する。
「…主人は、空港にいたのね」
「はい。連絡がつかず…巻き込まれていれば病院にいるはずなので、どの病院に搬送されているのかなどの情報は私が収集しておきます。明日、予定通り倉石さんの奥様とお子様を迎えに行きますので、今晩は公邸で休んでいてください」
「ごめんなさい、心労をかけてしまうわね」
気丈にそう言った加奈子は、確かに歴戦の外交官の妻といったところだ。しかし、四半世紀を寄り添った夫の安否が分からない状況で、唯斗より心労があるに違いないのだ。それでもこう述べた強さに、唯斗は俯く。
「…恐れ入ります。それでは」
唯斗はかろうじて会釈をして大使館に戻る。公邸から大使館まで敷地内を少し移動するだけなのに、暑さが肌を焼く。日本とは違う太陽と空気に、もしここで死ぬのなら、こんな日本から離れた場所を最期とするのか、と絶望的な気持ちになった。