サヘルの夜明け−10


2024年1月13日

朝9時半、唯斗は大使館で加奈子・美紀と改めて合流した。
朝一で唯斗はウマルの運転によって倉石家の暮らしていたアパートに向かい、美紀と息子・聡太、そして彼らの荷物を回収して大使館にやってきた。
その後、加奈子に公邸の案内を任せて唯斗は中央警察署と連絡を取ってから本省にも報告。

これより、加奈子と美紀とともにラヴァルヴィル中央警察署に赴き、昨夜警察から電話があった遺体を確認しに行くのである。

日本人で大使らしき遺体を収容している、という電話があったのは昨晩18時頃。ただちに加奈子と美紀に連絡を入れ、本省にも共有し、本人のものか確認をしに行くことになっていた。
聡太は公邸で留守番となるが、落ち着いた様子だった。


そうしてウマルの運転で1区の中央警察署に到着すると、警備の案内で霊安室に通される。空港で収容された遺体のほとんどは病院にあるものの、大使の可能性があるため、こちらは警察署に保管されているのだ。

道中からずっと沈黙だった3人だが、霊安室に入り、担当者が白いシーツを外して顔が見えた瞬間、加奈子が崩れ落ちた。
それはまさしく、橋本大使その人だった。

隣のシーツも外され、やはり倉石の遺体が姿を現す。

死因は爆風で飛ばされ頭を強く打ち付けたことであり、遺体は比較的綺麗だった。しかし、異国の地で殉職するには、二人はあまりに優秀で、優しくて、その死を当然と受け入れることは到底不可能だった。

昨晩から覚悟を決めていたのだろう、二人は事実を受け止めて泣き崩れる。涙を流せるのは悲しみをきちんと受け止められているからだ。
事実を受け止められていないのはむしろ唯斗の方だ。涙どころか、悲しみすら湧いてこない。彼女たちの方がよっぽど、こうなる可能性もある職業だと覚悟してここに来ているのだろう。

唯斗はとりあえず、自分の仕事をしなければ、と息を吸う。
顔を伏せる担当者に、手帳とペンを出しながら声をかける。


「日本政府として、遺体の適切な送還を共和国政府に要求します。この気温です、腐敗しないよう必ず適切に処置してください。また、明日にも貨物として第三国経由でもいいので日本への返還を手配してください」

「はい。ほかにも巻き込まれた外国人の遺体については、明日、ガーナを経由して各国へ返還する運びになっています。それでよろしいでしょうか」

「構いません。後ほど、フライトと集合時間、それから税関書類の提出先などを教えてください」

「メールで連絡します」


航空便で運ばれる遺体や遺骨をHuman Remainと呼ぶ。貨物として扱われるため、税関を通す必要がある。すぐにでも日本に送り、適切に保管される状態としたかった。
気温は31度、停電もよく起きるこの国に長く留めおきたくない。海外から届いた遺体は、空港の専門業者が防腐処理などを施して可能な限り綺麗にしてくれる。

まだ涙は出ない。だが、今はそれでいい。
二人の遺体を日本に帰国させ、在留邦人を保護し、外務省に連絡して大使館の継続を確認し、臨時大使の指示を仰ぎ、とやることは無数にある。不思議と思考はクリアだが、心は白く霧がかかっているかのようだった。

唯斗は二人を霊安室に残して廊下に出ると、スマホで外務省に連絡を取る。今は夜7時過ぎだろう。


『はい、こちら緊急連絡室』

「ピナルエサヘル日本大使館の雨宮です。今警察署で遺体を確認し、橋本大使、倉石書記官の死亡を正式に確認しました」

『っ、そうですか…。こちらも全力でバックアップします。事前にこちらでも今後の方針を決定してあります。これより駐ガーナ日本大使の佐伯さんを広域大使として臨時任命しますので、当面は佐伯大使の指示に従ってください。すぐに連絡先をSMSで送ります。大使館帰着後、佐伯大使にご連絡ください』

「了解です。で、自衛隊は出ますか?」

『現時点では保証はできません。しかし、大使がテロに巻き込まれて死亡するというのは極めて重大な事態です。自衛隊による緊急退避になる可能性は高い状況と言えます。今回の事件について、我が国の外交官を狙ったものである、という説明はありました?』

「いえ。現在までに警察が把握している情報では、この事件は偶発的なテロであり、無差別なものとのことです。犯人は自爆しており死亡していますが、プロファイルによれば、IS系だろうと」

『では我が国を標的にしたものである可能性は低そうですね。しかしくれぐれも気を付けて行動してください、今ピナルエサヘルにはあなたしか邦人を保護できる外交官はいません』

「承知してます。それではまた」


通話を終えると、霊安室から二人も出てきていた。目元が赤くなっているが、足取りはしっかりしていた。まだ事態は悪くなる、唯斗の日本語での会話からも分かっていることだろう。


「…もうよろしいですか」

「ええ、ありがとう」


加奈子はしっかりと礼を述べ、美紀も礼をする。唯斗は頷くと歩き出す。次、二人が遺体に対面できるのは、日本に帰国してからになる。



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