サヘルの夜明け−12
西からは過激派、東からはクーデターが迫る混乱状態となったピナルエサヘルだが、政府は事態の鎮圧を図るためさらに踏み込んだ。
13時、突然スマホのネット回線が途絶えた。パソコンもインターネットにつながらなくなり、電話だけしかできない状態になる。
「唯斗さん、これって…!」
スマホを弄っていたインナはすぐに声をかけてくる。唯斗は頷いた。
「政府がインターネットの遮断をやったんだろ。電話はできるはずだ。ただ、トラフィックが混んでるからすぐには電話できないと思うぞ」
唯斗は邦人へのメールを諦め、すぐに名簿を取り出す。あらかじめ、こうした事態を見越してアナログにしておいたものであり、今後の連絡はこちらへの電話で行う。
政府によるインターネット遮断は、このような状況に陥った国がよくやる手法だ。人々の組織化を阻害するため、SNSなどを利用できないようにすることで人々を分断するのである。
どうやら、政府はまだ鎮圧する気でいるらしい。
そこに、カウンターから二人の男が声をかけてきた。新しく着任したばかりの警備員マリックとアランだ。アランはムスリムのマンデン系である。
「ミスター」
「どうした?」
「申し訳ないが、俺たちは反政府側に加わる。警備業務はここまでだ」
「な…っ、」
なんと、一方的に大使館の警備業務をやめるという。この状況だ、引き留めたいところだが、その表情は意志が固そうだ。
「…やめてくれ、と言っても聞かなさそうだな」
「日本人のことは尊敬している。だが、そちらのお嬢さんは俺たちが嫌いらしい」
マリックが示したのは、領事業務室内から二人を睨むクレアだった。唯斗は小声で尋ねる。
「…何か言ったんだな」
「あんたの想像通りのことをな」
「悪い、気づけなかった。俺の落ち度だ。もってけ」
唯斗は二人にいくらかの米ドルを手渡した。恐らく、唯斗のいないところでクレアがマリックたちに差別的な言動をしたのだろう。ただでさえキリスト教徒とムスリムの対立が深まっている状況だ、嫌気がさすのも頷けるし、いつ閉鎖されてもおかしくない日本大使館で働き続けるよりも反乱勢力に入った方が食いつなげる可能性は高い。
これはもういよいよ引き留めることはできない。唯斗は、険悪な別れになるとマリックたちが反政府勢力側に日本大使館の情報を漏らす恐れもあったため、口封じもかねて米ドルを渡した。
二人はそこまでされると思っていなかったのか驚く。
「まだ市内は政府軍優勢だ。気をつけろよ」
「…残念だ、あなたはいい人だった。あなたも早く逃げた方がいい」
マリックはそう言うと、アランとともに大使館を出ていった。入れ替わりにウスマンがやってくる。
「悪い!引き止められなかった。急いでムーサ呼んだから、すぐ来てくれる。俺はさすがにいったん家帰らないとまずいんだ!」
「ありがとう、助かる」
そうは言ったが、これで警備は振り出しだ。二人体制では、昼と夜の交代制としてもずっと一人になってしまう。
この状況で今から警備を雇うのは難しい。たった数日の仕事で、しかも西側の日本と関わりを持つことはリスクの方が高い。
領事業務室の窓から外を見れば、遠く中心部の方からいくつか煙が見えた。デモ隊が燃やしたタイヤや車のものだろう。銃声は警察と軍によるものであり、戦闘にはなっていない。戦闘ができるほどの武装勢力は、まだ市内にはいない。
クーデターが発生し、インターネットが遮断され、市内中心部では衝突が続き、治安が急激に悪化する中で警備が減り、スタッフ同士の衝突まで起きている。
橋本なら、きっとスマートに解決しただろう。外交官としてのスキルだけではない、人間としての総合力が違った。
こんな状態で邦人の保護をしなければならないというのは、あまりに無謀なことに思えた。
すると、今度は本省からの電話がかかってきた。専用の回線になっているためすぐ分かる。電話回線が混みあっていても問題なく通話できる。
「はい、こちら雨宮です」
『こちらで、ピナルエサヘルでのクーデター、戒厳令、インターネットの遮断を確認しました。無事でしょうか』
「はい。ネットの遮断は今しがたこちらでも確認しています」
『よかった。それでは緊急の通達です』
緊急の通達、唯斗の心に緊張が走る。十中八九、告げられることは一つだ。
『現地時間13時30分をもって、駐ピナルエサヘル共和国日本大使館を閉鎖。ピナルエサヘル共和国全土の危険レベルを4に指定し、大使館職員を含むすべての邦人に対して緊急退避を命じます。内閣では自衛隊機の派遣に向けてすでに調整を開始していますので、早ければ4日後、そちらでは5日後にあたる17日にはジブチ基地へ到着する予定です』
「了解しました」
『市内中心部にある米国大使館ではデモ隊による襲撃が起きています。大使館側に被害はありませんが、米国大使館は緊急機密情報破棄を行っているとのことですので、日本大使館も同様に、緊急破棄を行ってください。やり方は分かりますか?』
「はい、事前に大使から教わっているので大丈夫です」