サヘルの夜明け−13


その後もいくつか細かい情報共有をしたのち電話を切ると、ひとつ深呼吸する。
そして、唯斗はこちらを見上げるインナとクレアに指示を出した。


「大使館を閉鎖する。これより、緊急機密情報破棄プロトコルを実行する。インナ、ビザ情報や在留情報の紙面をクロスシュレッダーで破棄。クレア、中庭の焼却炉の準備をしてから、機密指定文書を箱にまとめてくれ」

「は、はい」

「あぁ、なんてこと…」


インナとクレアはすぐに立ち上がると、指示通りに動き始めた。
まずインナは、領事業務で保管している日本人の在留申請で使う個人情報の書類、およびピナルエサヘルから日本に渡航した者たちのビザ申請時に預かった個人情報の書類をまとめてシュレッダーにかけ始めた。
シュレッダーがうなる音が室内に響き始めると、クレアは中庭へ向かう。米国の定めた在外公館の機密情報破棄の規程に基づき、焼却炉には特殊な薬剤を入れる。

その間に、唯斗も大使室へ向かい、あらかじめ整理しておいた外交文書のうち、ただちに破棄するべきものを詰めた箱を抱えて地上階へ降りる。クレアもちょうど焼却炉の準備をしたようで、領事業務室に戻って別の箱を抱えて出てきた。

二人で中庭に向かい、焼却炉に書類をくべていく。煙突からは黒い煙が上がり、時々せき込みながら書類をどんどん焼いていく。そこに、中庭に面した公邸から加奈子が出てきた。


「機密破棄をしているのね」

「はい、危ないので公邸にいてください」

「私も手伝うわ。デモ隊がすぐそこまで来ているのが窓から見えた。本当は私が運んだりしない方がいい文書なんでしょうけど、時間がないわよ」

「…お願いします」


唯斗はその場を加奈子とクレアに任せ室内に戻る。
インナはずっとシュレッダーをまわしており、絶えず裁断音が響いていた。

唯斗は電子データの破棄をするため、自分のデスクでパソコンにログインし、ローカルに保存されている電子データのうちすぐ破棄しなければならないものを専用のソフトを使って削除していく。
削除を実行する傍ら、自分のデスクにある紙面の破棄情報をまとめる。邦人の名簿など、退避に必要な情報はすべて「Garder」と書かれたファイルに入れて保管用と分かるようにしておいてあったため、破棄するべきものはすぐに分かった。橋本と佐伯の事前の指示のたまものだ。

さらに、クレアとインナが使うパソコンでも同様に重要データの削除を行う。彼女たちの業務用端末は、唯斗がいつでもログインできるように設定されていた。こんな状況でもソリティアをやっていたらしいインナに内心で苦笑しつつ、こちらは重要データが少ないためすぐに完了する。


「インナ、俺は大使室のデータを廃棄する。シュレッダー間に合わなかったら焼却炉に行ってくれ」

「はい!」


唯斗はインナにそう声をかけてから1階に上がる。大使室に入り、緊急時に使用するIDとパスワードでパソコンにログインし、中に入っている機密データを削除ソフトで消すのだ。
窓からはうっすらデモ隊の声が聞こえてくる。日本大使館に対して攻撃しようという声は聞こえてこないため、恐らくここまでは来ないだろう。このあたりは特に政府系の建物はなく、南警察署があるくらいだ。とはいえ何があるか分からない。緊急破棄は規定通りに迅速に行うべきである。

ログインを終えてフォルダを開くと、唯斗は息を飲んだ。

一番上の階層には、テキストメモがあり、タイトルは「緊急機密情報破棄」とある。それを開くと、「私に何かあれば以下を削除するように」という添え書きとともに、削除するべきフォルダ名が書かれていた。
橋本は有事の際を想定して、このようなメモを残してくれていたのだ。最終更新はあの日、出発する直前。きっと大使館を出るときには常にこういうものを用意していたのだろう。

どこまでも気遣いの人だった。これが必要になるときは、唯斗が一人で大使館を閉鎖するときであると理解していた。それが分かって、唯斗はぐっと唇をかみしめる。
そしてその指示に従い、次々とファイルを削除した。

続いて隣の事務室に入ると、倉石のデスクで同様に削除ソフトによるデータ処理を行う。
倉石も同様に、テキストメモによる削除対象が書かれていた。二人で示し合わせていたのだろう。
同じ部屋の自分のデスクにて、外交業務用に唯斗が使っていたパソコンでもデータを削除する。我ながら分かりづらいフォルダ整理に、思わず苦笑する。本当に、どこまでも自分はあの二人に敵わない。



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