サヘルの夜明け−14
データ削除が終わると、地上階に降りて管理室のドアをノックと同時に開く。ウマルは慌ただしくしている様子を察していたのか、事前にまとめるよう頼んでいた紙の束を渡す。
「来館記録です。閉鎖されるんですね」
「あぁ。とはいってもまだ退避はこれから本格化するところだ、今は情報の破棄だけ」
「分かりました」
記録簿を受け取ると、インナがシュレッダーとまだ格闘しているため、中庭に向かう。
こちらもまだ書類の焼却を行っているが、もう終わりそうだった。
「クレア、これも頼む。終わったらインナに声かけて、まだシュレッダーかかってない書類も燃やしてくれ」
「はい」
「加奈子さん、公邸に個人情報の書かれた書類はありますか?在留関係は私が管理しています」
「パスポート以外だと、在留許可書のコピーかしら」
「ではそれも焼却します。倉石さんも持っているようなら預かってきてもらえますか」
「分かったわ」
こんなことを頼むのは申し訳ないが、加奈子は気にした様子もなく公邸に戻る。唯斗は今度は正門に向かい、ウスマンと交代していたムーサに声をかけた。
「ムーサ、大使館の閉鎖が決まった。以降、待機時間でも常に正門と裏門を施錠してくれ。また、待機は必ず敷地内で。通りには出ないように」
「承知しました」
ムーサはすぐに正門の閂を閉める。裏門は元から閉じられているだろうが、確認のためにムーサは裏門に向かった。
それを確認して大使館に戻ると、今度は2階に上がる。日本でいえば3階にあたるフロアで、ここには宿泊用のトイレ・シャワー付き客室4室とリネンや掃除用具など施設管理のための備品が保管された倉庫がある。
近くの客室の部屋に入り、窓と外付けシャッターを閉める。シャッターと聞くと、日本では店舗の入り口を覆う降下式のものを連想するが、治安の悪い国では窓にもつけられる。
防犯用の鉄製の雨戸、というのがイメージしやすいものだろう。
シャッターは観音式、窓ガラスはスライド式だ。そのため、シャッターを閉じてから窓ガラスを下ろして閉める。
当然、シャッターによって日差しが遮られ部屋は暗くなってしまう。だが、こうしないと銃弾を防げないほか、襲撃する意図のある者たちに人がいることを明かしてしまうため、このようにして閉めきるのである。
途端に暑くなった室内に辟易としつつ、すべての窓を閉じていく。途中から、ウマルが手伝いに来てくれたため、ウマルに2階の残りを任せて唯斗は1階に降りる。
1階は大使室、事務室、貴重品の保管庫、外交業務用の倉庫、外交官用の客室2室がある。大半の部屋にウマルたち現地スタッフが入れないことから、唯斗が窓閉めを行うほかないが、もともと窓自体が少ないフロアだ。
ちょうどウマルと同じタイミングで終わったため、階段で出くわす。
「こちらは終わりました。地上階も閉じますか?」
「いや、地上階は塀で通りから見えないからそのままでいい。ありがとな」
「いえ」
これで一通りやるべきことは終わった。地上階に降りて中庭に向かうと、すでにクレアとインナが焼却炉の消火作業を行っていた。紙面の破棄も終わったようだ。
加奈子も倉石家と合わせて個人情報書類の破棄を終えたらしい。
「加奈子さん、公邸のシャッターと窓を閉めてください。外側についている鉄のやつです。地上階のものはいいので。それですべて終了です。あとは休んでいてください。ご協力ありがとうございました」
「あの雨戸みたいなものね、分かったわ。気にしないで」
加奈子は公邸に戻っていく。焼却炉の火も消えたようで、これで破棄は完了だ。
「インナ、クレア、ありがとう。破棄は終了だ。少し早いが二人は先に帰宅してもらって構わない」
「あの、明日からどうすれば…」
二人は立ち上がり、クレアは不安そうに尋ねる。唯斗は頷いて今後のことを伝える。
「状況が落ち着いていれば通常通り出勤してくれ。退避に向けて、残る邦人の事前手続きと、君たち大使館の現地人スタッフとその家族について名簿や資料を作成する。いざというときに日本に避難できるようにするためだ。そして、日本に行くかどうか考えておいてくれ。残念だが、ほかの第三国への避難を日本として手配することはできない。ここに残るか、自力でどこかに逃げるか、俺たちと日本に逃げるかのどれかだ」
日本ができるのは日本への受け入れだけだ。難民に準じる扱いのため、第三国へのあっせんはできない。言葉も通じない、文化もまったく違う極東に逃げることのハードルの高さは二人も理解している。
コートジボワールなど周辺国に避難するのであれば、自力で行ってもらうしかなかった。
「あの、息子を連れてきてもいいですか?」
するとインナがそんなことを聞いてきた。シングルマザーだ、息子をこの状況で家に一人残るのは確かに危険だ。
「ご両親を頼れないようなら、公邸で預かる。倉石さんの息子、聡太君とは仲が良かったよな」
「ええ。では明日、アンリと出勤します」
インナの息子、アンリ(Henri)は倉石の息子聡太と同じ7歳だ。付き合いがあり、二人は仲が良いと聞く。言葉はあまり通じないが、聡太は比較的フランス語ができるようで、簡単な会話はできているそうだ。
閉鎖された以上、二人の仕事は減る。だが、自宅より大使館の方が安全な状況だった。