サヘルの夜明け−16


唯斗はウマルに声をかけて外出することにした。
ムーサが門を開き、ウマルの運転する車で通りに出る。

市内はある程度平穏を取り戻しており、反政権デモは概ね鎮圧されたようだ。燃やされたタイヤなどは鎮火されたのか、煙はもう上がっていない。
たまに大きな騒ぎ声がどこかから聞こえてくるが、車の流れや歩行者の様子はいつも通りに戻っていた。

ただ、どことなく張りつめた雰囲気が漂っているのは確かだ。商店やスーパーには人だかりができており、すでに多くの品物が買い占められて売り切れているように見える。

インターネットが遮断されているため、地図アプリは使えない。そのため、ウマルには紙面の地図を渡していた。土地勘のあるウマルはたまにしか見ていない。
今回の行き先は、1区のビジネス街にある日系自動車メーカーのオフィスだ。今のところ、最も多くの日本人が残っている企業でもある。


「今回の目的は社用車を借り受けられるかの確認だ。ウマル、確かなんでも運転できたよな」

「大型の観光バスや路線バスは難しいですが、中型バスやバン、バイクなどは運転できます」

「さすがだ。借りられるようなら、この車は俺が運転する形で分乗しよう」

「分かりました」


邦人の足を確保するため、社用車を借りられるかどうか交渉しに行くのが目的だ。自動車メーカーなら10人乗りの大型のバンくらいなら持っているはず。

交通規制もあり、ビジネス街に到着したのは15時過ぎだった。いつもより2倍近く時間がかかっている。
ラヴァルヴィルのビジネス街は、最近の都市開発で大規模に形成された高層ビル街と、昔からの企業が並ぶ古いビジネス街に分かれており、今回は後者だ。日本企業は古くからピナルエサヘルに進出していたためで、新しい高層ビル群には国内企業のほか中国や韓国の企業が多い。
フランスや日本のような老舗は旧ビジネス街に居を構えていることが多かった。

10階建て前後の低層ビルが立ち並ぶ雑多な4車線道路を走り抜けていくが、午前中に反政権デモ隊がいたのだろう、道路はいつもより多くのごみや靴、鞄、シャツなどが散乱していた。ここではさすがに車などを燃やすようなことはなかったようで、ごみが多いくらいの変化でしかない。

そうして、自動車メーカーが入るひときわ大きなビルに到着した。12階建てだが、横に大きく複数の企業が入っている。現代的なビルで、ガラス張りである。
地下駐車場に入って車を止めると、ウマルにはここで待機してもらう。唯斗はネクタイこそしていないがスーツのジャケットを着て、車を出てエレベーターに乗った。

総合エントランスなどはないため、直接オフィスのある8階までやってくると、長い廊下を進んで企業エントランスに入る。小ぎれいなエントランスには段ボールがいくつか無造作に置かれ、オフィスからの撤退が進められているのが分かった。
そこへ、日本人の男性が箱を持って出てきたため、唯斗はすぐ声をかける。


「すみません」

「あれ、日本の方ですか、どうされました?」

「私は日本大使館の外交官です。御社にお願いしたいことがあってまいりました」


日本式に名刺入れから名刺を出しながら言えば、驚いたようにして男性は箱を下ろす。


「外交官の方でしたか、失礼しました。すぐ上の者を呼んできます」


男性はすぐオフィスに引っ込み、そして数分せずに別の男性を連れて戻ってきた。


「四葉自動車工業の吉岡と申します。ピナルエサヘル支社の日本人トップを務めています」

「外交官の雨宮です、突然の訪問失礼します」

「すみません、会議室はいろいろなものが詰め込まれてしまっており、こちらでよろしいですか」

「構いません」


連れてきてくれた男性に礼を述べてから、唯斗と吉岡はエントランスの待合スペースにあるソファーで向かい合うように腰かける。オフィスからはたくさんの人々の慌てたような話声が聞こえており、会社を閉鎖するための処理に追われているのが分かった。


「それでお願いとは」

「はい、実は現在、日本政府は自衛隊の輸送機を派遣しています。17日もしくは18日には、自衛隊機によって退避が可能です」

「それはよかった、もうフライトが満席で」


吉岡は心から安堵したようにする。もう現時点ではフライトの予約ができず、帰国できずに途方に暮れていたのだろう。それはそうだ、北の国境はサハラ砂漠であり論外だが、西の隣国マンデ共和国も南の隣国オートボルタ共和国もクーデターで混乱している。
陸路で避難できるのは東のニジェール共和国だけだが、ニジェールの首都ニアメまでは極めて距離がある。空路以外で避難する余地がない内陸国のため、もうこの段階では自衛隊機以外の手段がない。


「そうは言ってもあと4日あります。その4日でどれだけ情勢が悪化するか分かりません。輸送機が来た時に、安全に空港にたどり着けるか分からない状況です」

「それは…そうですね。私は車がありますが、ほかの駐在員は車を持っていません」

「そこで、御社の社用車を大使館に貸与いただきたいのです。移動手段がない日本人の回収と空港への移送に使用します」

「なるほど、分かりました。ただ、動かせるのは社用のバン1台だけです。ほとんどの社用車は工場にありますが、工場の閉鎖業務に使用してしまい、ガソリンがなくもう動かないので工場に放置してあります」

「1台でも十分助かります」


吉岡は頷いて立ち上がる。車のキーを持ってきてくれるらしい。


「雨宮さんおひとりでは大変でしょうが…今しばらくお世話になります」

「はい、必ず皆さんを日本にお帰しします」


恐らくこの会社の残りの駐在員と家族は民間機には間に合わないだろう。彼らとともに、自衛隊機での退避を行うことになる。
最低4日、場合によってはそれ以上、まだ退避まで時間がある。これはとても長い時間に感じられるだろう。



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