サヘルの夜明け−17
バンのキーを預かり、唯斗はエレベーターを地下まで降りる。今日は時間的に大使館に戻った方いいだろう。夜間外出禁止令が出ているため、それに引っかかってしまう恐れがある。
エレベーターが開き、薄暗い駐車場に出る。乗ってきたときと違うエレベーターで降りてきたため、ウマルのいる公用車まで少し距離があった。カツカツと革靴の音を響かせながら歩いていると、どこかから話声が聞こえてくる。
それ自体は何でもないことだったが、片方がかなりヒートアップしているようで、次第に言葉が乱れていく。男性二人の声であり、恐らくもめごとだろう。
公用車までの道中でやっているようで、面倒だな、と歩調が緩む。あまりに険悪であればいったん戻って違うエレベーターで再び降りてきた方がいいかもしれない。様子を窺うために会話に聞き耳を立てる。
「落ち着いてくれ、君にはとても感謝しているんだ」
「感謝してるならこんな金額にならねぇだろ!なめてんのか!」
「しかしその金額でやると契約したのは君だろう?こちらも持ち合わせがない、悪いが応じられない」
フランス語の会話だが、片方は少しフランス語が聞き取りづらい。金のもめごとは殺傷沙汰になりかねない、唯斗の足はほぼ止まる。車の影になっているが、数台先の大型車の向こうで口論しているようだった。
「白人のくせにケチくせぇな!」
「困ったな、次はプラ語か、俺はプラ語は分からないんだ」
唯斗の特技は現地語習得だ。拙いフランス語からプラ語に切り替わったのを唯斗は理解し、もう片方は困り果てている様子だ。このレベルのプラ語が分からないなら、きれいなフランス語であったこともあって外国人かもしれない。というか、白人のくせに、という言葉からも外国人の可能性が高いだろう。ここは黒人の国だ。
すると、そのプラ人の男が車の影から少し見えた。怒り狂っており、ジーンズの尻ポケットから拳銃を取り出した。
「いいから金出せ!殺すぞ!」
「おっと、困ったな。こんなことなら銃を置いてくるんじゃなかった…。今は丸腰なんだ、どうか話を聞いてくれないか」
おどけたような言葉のわりに、フランス語を話している方は声音からかなり焦っている。恐怖こそないが、打つ手がない追い詰められた様子が窺えた。
だが唯斗は、その言葉にピンときた。銃を置いてきた、ということは武装していたということだ。民間の警備員かもしれない。白人なら外国の警備会社の傭兵という線もある。
それなら恩を着せて大使館の警備の依頼を引き受けてもらえるかもしれない。会話の様子からして、現地協力者との揉め事だとすれば、金銭のトラブルなら事後のはず。つまり、任務は一度終了している可能性がある。
唯斗は慎重にあたりを見渡すと、ちょうどおあつらえ向きに、近くのトラックの荷台に落ちていたものを拾った。
そのまま、ゆっくりと車の影に沿って男に近づく。
こんなこと、外交官のやることではない。米国などは戦闘経験のある者が大使や領事をやることもあるが、日本はまずありえない。当然、唯斗だってなんの心得もない。
だが今は手段を選んでいる場合ではなかった。いかなる手を使っても、邦人を救い出す可能性を最大化し続けなければならなかった。
もうこの国には、日本人を守れる外交官は唯斗しかいないのだ。
呼吸が荒くなりそうになるのを必死に堪え、震えそうになる手を叱咤し、膝にしっかりと力を入れて、そして車の影から男の死角を抜けて一気に男の背後をとった。
同時に、男の後頭部にトラックの荷台から拝借した金属を押し当てる。
「動くな」
「ッ、」
プラ人の男、そしてその銃口の先にいた白人の男もひどく驚いたようにする。
白人の男は長い金髪で、編み込んだ髪を前に垂らしている。ところどころ赤いメッシュが見えた。極めて端正な顔立ちであり、モデルか何かのようだ。
えんじ色の革のジャケットにネイビーのTシャツ、黒のパンツとスタイリッシュな出で立ちはファッションブランドのCMに出てきそうだった。