サヘルの夜明け−18
プラ語で声をかけた唯斗に、男は横目でこちらを見る。アジア人であることにさらに驚いていた。
「銃を捨てろ。今なら見逃してやる」
「…、」
男はおとなしく拳銃を捨てる。床に落ちたそれを白人の男の方へ蹴ると、すぐに拾い上げてこちらに構える。やはりその動きや銃を持つ構えはプロのそれだった。当然、今度の銃口はプラ人の男に向いている。
そして唯斗は男の手に米ドル札を握らせてから離れた。
「な…っ、」
「今は逃げた方がいい。そいつに殺される前にな。そんで早めにラヴァルヴィルを出て東に向かった方がいいぞ」
男は舌打ちをしつつ、握らされたドル札に満足したのか足早に走っていった。
なんとかなった、という事実に、唯斗は途端に息をついてしゃがみ込む。
「はぁ〜〜〜っ、ビビった…」
「なんとお礼を言えばいいのか…本当に助かった!大丈夫か?」
傭兵らしき男は銃を下ろしてこちらに駆け寄る。唯斗はじとりと男を見上げた。
「大丈夫なわけねぇだろ、俺は外交官だぞ」
「外交官!?すごいな!いや、外交官というだけでもすごいが、銃まで使えるのか!」
「銃?あぁ、いや…これ、水道の蛇口」
唯斗は手に持っていた金属を見せる。それは、水道の蛇口部分だった。いい感じに筒状の部分があり、後頭部に押しあてたことで誰もが文脈から銃だと思ってしまうだろうが、実際にはただの蛇口だったのだ。
まさにはったりである。
「だから俺は外交官だ、市民に銃を向けるわけない。薄目で見れば銃に見えなくもないだろ」
そう言うと、男は目を丸くしてから、盛大に噴き出した。
「ぶはッ、蛇口!っははは!!そうか、すごいなあんた!こんなこと不慣れだろうに、本物の銃を持った相手にそんなはったりかませるか!?」
爆笑する様子に呆れ、唯斗はため息をつく。あっけらかんとした男に、こちらも毒気を抜かれてしまう。
とりあえず立ち上がろうと足に力を入れて体を起こすが、膝が震えてバランスを崩す。
「う、わっ」
「おっと」
しかしすぐに男が抱きとめるようにして支えてくれたおかげで倒れるようなことにはならなかった。唯斗よりも7、8センチは背が高く、逞しい体は難なく唯斗の体重を預かっていた。
「悪い、なんか力抜けた」
「アジア人だろ?外交官ともなれば銃なんて見たこともないだろうに、そんなはったりで俺を助けてくれたんだ。改めてありがとう、そんなにも暴力から遠い君が、暴力を使わずに立ち向かってくれたことに礼を言おう」
「まぁ、俺も打算あってのことだし」
なんとか足に力が入るようになったため自分で立ちながらそう言うと、男はにこりと綺麗に笑った。
「だろうな。外交官がこんなことするのには理由があって当然さ。俺はリチャード、英国の警備会社C4Sの傭兵だ。良ければその打算に応じたい、聞かせてくれないか?」
リチャードという男は、どうやら助けたお礼に唯斗が依頼しようとしていることを理解しているようだった。やはり只者ではないし、恐らくただの傭兵でもないだろう。かなり上位の人間だ。
「俺は雨宮唯斗、日本の外交官だ。単刀直入に言う、大使館の警備を手伝ってほしい。もちろん報酬は政府から支払うし、この国からの撤退も我々が責任をもって行う」
「護衛の依頼は俺の専門だ。要人警護が俺の主たる依頼領域だからな。いいぞ、ちょうど俺も前の依頼が終わったばかりで、陸路で退避する方法を考えないといけないところだった。恩人に尽くせる、お金をもらえる、退避もできるで一石三鳥だ!」
リチャードはまさに二つ返事で了承してくれた。そしてやはり、要人警護専門という高度な傭兵だ。一人で数人分の働きができるだろう。
どうやらリチャードはこれから陸路でこの国を出なければならなかったようで、日本が撤退を手伝うという点もメリットに感じてくれたらしい。
それが、唯斗とリチャードの出会いだった。
この国を脱出する、6日前のことである。