サヘルの夜明け−21


17時過ぎ、唯斗は公邸の玄関で呼び鈴を鳴らした。
すぐに加奈子が出てきたが、やはり表情は暗い。まだ目元は腫れていた。


「失礼します、2点ご相談したいことがあるのですが」

「ふふ、律儀に呼び鈴を鳴らさなくてもそのまま入ってきていいのよ」

「緊急時はそうします」


加奈子が小さく笑って言ったため、唯斗も冗談めいて返す。そして鍵を一つ手渡した。


「これは公邸の地下倉庫の鍵です。ここの地下倉庫には、水と食料、発電機用のガソリンが入っています。水と食料は12人が1週間ちょっと籠城できるようになってますが、今後大使館で保護する数が増えると予想されます。なので、30名が4日ほど持ちこたえられるようにしたいと思っています」

「倉庫の管理をすればいいのね?」


加奈子は鍵を受け取り、すぐに唯斗の意図を理解する。


「はい、食料の備蓄管理をお願いします。あと、鍵そのものの管理も。考えたくないですが、内部での盗難も今後はあり得るでしょう」

「分かったわ。とりあえず今日の夕食は、今日中に使いたいお野菜とお肉を使って作るわね」

「手伝います。人数は我々日本人が4人と、新たに護衛として雇った傭兵1人の5人です。後ほど紹介しますね。めっちゃイケメンですよ」

「あら、雨宮君よりも?」


冗談めかして加奈子が言うが、唯斗はあまりそういうことは分からないため、「そ、れはどうなんでしょう…」とあからさまに困った声が出てしまう。加奈子はこういう風にからかうことがあり、唯斗の反応を見て楽しそうにするのだ。
その様子がまったく憎めず、今はなおさらだった。

とりあえず上がらせてもらい、キッチンに立つ。ちょうど用意しようとしていたのか、美紀もいた。

美紀にも食糧事情と加奈子に管理を任せることを話し、今後の調理計画を話しながら準備を進める。唯斗は決して料理が得意ということはないが、一人暮らしは長いため慣れてはいた。
明日までは残り物の食材を使用し、明後日からは備蓄を使った現地料理に切り替える方針である。

3人もいればあっという間に準備は終わるため、唯斗はリチャードを、美紀は聡太を呼びに行き、加奈子はダイニングの大きなテーブルに並べていく。今日はミートソースのパスタとパン、ちょっとしたサラダとトマトスープだ。
なお、公邸はちゃんとキッチンとダイニングが別々の部屋に分かれており、ダイニングは大使の客人を招くことができるよう豪華で広い作りになっている。10人は着座できる。

警備員は自分で食事を用意しており、宗教の違いもあるため、こういうときに声はかけない。
唯斗は塀の確認をしていたリチャードを呼び、公邸のダイニングルームに通した。

すでに加奈子と美紀、聡太は着席していた。


「お待たせしました、こちら護衛として雇い入れたリチャードです」


日本語で紹介したが、紹介されていることは分かったのだろう、リチャードはフランス語で挨拶をする。


「英国の警備会社で傭兵をしている、リチャードという。よろしく頼む」

「大使の妻、加奈子です」

「同じく外交官の妻、美紀です。こちらは息子の聡太です」

「倉石聡太です」


3人ともフランス語で返した。加奈子は長いこと橋本に連れ添ってフランス語圏にいただけあり流暢だが、美紀は挨拶程度だろう。聡太は学校で学んでいるのかちゃんと喋れるが、傭兵のリチャードに少し怯えているようだった。
リチャードはモデルのようにきれいにほほ笑む。


「大変な状況と聞いている。どうか帰国するまで気を強く持ってほしい。微力ながら助けになろう。聡太もフランス語で挨拶できてえらいな!」


人好きのする様子に、一瞬で聡太は心を開いたのか、「学校のテストで一番点数が高かったんだ」と話す。リチャードも兄貴のように「すごいな!」と返しており、傭兵というより近所の気のいい青年のような様子に加奈子と美紀も警戒を解いていた。


「まずは食べましょう。このミートソース、日本のやつですよね」

「ええ、最後の一缶だったの」


いただきます、と言って食べ始めた日本人たちに合わせ、リチャードも片言で「イタダキマス」と述べてから食べ始めた。


「おお、うまい!このミートソースうまいな!」

「日本の缶詰式のソースなの。パンにも合うからパスタと一緒に食べ過ぎない方がいいわよ」

「すごいな、こんなものでも美味しくしてしまうんだなぁ」


大仰なリアクションに美紀もくすくす笑う。美紀の目元にも泣いた跡があったが、目じりには笑みが浮かんでいた。


「我が国の食に関する技術水準は他国の追随を許さないからな。だが不思議なことに英国への輸出量はそこまでじゃないんだ」

「お、それは俺たちが馬鹿舌って話か?」

「まさか、外交問題になるぞ」


唯斗が言えばリチャードはおかしそうに笑い、加奈子も肩を揺らして笑う。美紀もリスニングは得意なようで、二人の会話を理解して笑っていた。聡太には少し難しかったようだが、パスタに夢中でそもそも聞いていない様子だった。



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