サヘルの夜明け−24
2024年1月14日
大使館閉鎖後初の朝となるが、いつも通りに起きて、いつも通りの身支度を済ませる。きちんとワイシャツにスラックスと夏用スーツを着て革靴も履く。状況が悪化すれば私服になることも選択肢だろう。
用意を終えて客室を出たのは朝7時、窓が閉め切られているため、部屋も廊下も照明をつけていたが、シャッターの隙間から差し込む太陽光はすでに厳しさを感じさせる。
ラヴァルヴィル周辺は砂漠気候とステップ気候の間のような気候だが、この時期は砂漠気候の性質が強い。つまり、昼は30度前後の高温になるものの朝晩は15度前後まで下がり、極端に乾燥している。そのため、夜はエアコンをつけなくても寝られるのが助かる。夏になると湿度が上がるため地獄のようなことになる。
涼しさに太陽光の暑さを感じる外に出ると、正門でリチャードとウスマンが会話に花を咲かせていた。夜勤で交代したウスマンとは昨晩のうちに挨拶を済ませていたようだったが、陽気なウスマンとリチャードは気が合うことだろう。
リチャードは今日はジーンズに白のTシャツとラフな装いだった。Tシャツ姿だと、無駄のない筋肉が盛り上がってよく見える。
「あ、おはよう唯斗!」
「おはようございます、唯斗さん!」
唯斗に気づいた二人はぱっとこちらを見て手を挙げる。本当によく似ている。
朝から元気な二人に苦笑して手を振り返した。
「おはよう、二人とも。リチャード、朝食は公邸だ」
「おう!」
「ウスマン、自宅は変わりないか?」
「北部はあまり変化ないですね。ムーサも俺も家の周辺はいつも通りです。ただ、噂じゃあちこちで武器が配られてるとか」
ウスマンとムーサは、ムスリムが多い北部の6区に暮らしている。昨日までの混乱は市内中心部、1区で起きていた。
だが、ウスマンの話では武器の受け渡しが本格化しているという。今日にでも市内での戦闘が発生するだろう。
「電話回線の混雑は落ち着いてきてる、奥さんとはこまめに連絡を取って状況を確認しておけよ」
「了解です!」
これはウスマンとムーサを大使館に常駐させた方がいいかもしれない。その場合、家に妻子を残したままというわけにはいかない。一家そろって大使館で匿うことも視野に入れるべきだろう。
とりあえずウスマンと別れ、リチャードと二人で公邸に向かう。
「今日にでも戦闘が起きそうだな」
「そうだなぁ。武器を流通させてるのがどこの派閥かで状況はまったく変わる。空港に行くついでに情報収集したいところだな」
「分かった。空港の用事終えたあとは旅行会社に行ってバスを確保できるか交渉する予定だから、そのときに市内の様子は確認できると思う」
「OK、俺が護衛としてついてるから安心してくれ!」
リチャードは太陽にも負けないような明るい笑顔でそう言った。
同時に、昨晩のあのほの暗い笑みも思い出される。どちらが本当なのか、という疑問は恐らく意味がない。どちらも本当なのだ。
見た目通りの明るい好青年ではない、ということは意識しておく必要がある。唯斗に対する口説くような言葉も、本心だっただろうが本気度は分からない。そのときの気分だけ、ということもあり得る。
この男の言葉を逐一すべて真正面から受け止めるのは危険だ。
昨晩寝るときに考えた唯斗の結論だった。
すると、背後から正門の呼び鈴が鳴った。敷地外からの来客だ。二人そろって勢いよく振り返ると、ウスマンも通用口の小さな見張り窓から外を確認した。
リチャードはすぐに唯斗の前に庇うように立って警戒する。その手元は、後ろの腰につけたホルスターに添えられていた。
しかしウスマンはすぐに正門を開く。どうやら誰か出勤してきたようだ。
「スタッフが出勤したんだろう、部外者なら必ず俺に確認を取る」
「今はいいが、そろそろ上から通りを確認して一緒に入ってこようとする奴らがいないか確認した方がいいな。通用口からじゃ死角が多すぎる」
「やっぱりか…分かった。いずれにしても今日一日でどれくらい市内が混乱するかだな」
門を開けると乗用車が1台入ってくる。あれはインナの車だ。日中が非常に暑いこの国の一般的な始業時間は日本より早い8時であり、大使館もそうだが、それにしても7時過ぎの今は早すぎる。外出禁止令は6時までのため、解除後すぐに出てきたのだろう。
大使館と正門の間にある駐車場に車を止めると、インナと子供が出てくる。一人息子のアンリだ。
唯斗が近づくと、リチャードも後ろをついてくる。
「おはようインナ、随分早いな」
「おはようございます。また昨日のようになったら困るので、朝早い時間に移動してきたんです。2区の方も、昨日の夕方から普段は見かけない人たちがうろうろしていて…」
「そうか…。アンリ、久しぶり。元気か?」
唯斗はしゃがんでアンリと視線を合わせる。前に大使館の関係者で行った懇親会で顔を合わせている。大人びて見える黒人といえど7歳は7歳だ、幼い顔は朝から元気そうだった。
「元気!大使館でお泊まりだって!」
「そうだぞ、聡太も来てる。朝ごはんは食べたか?」
「まだ、おなかすいた〜」
「そうか。じゃあ、お母さんと一緒に公邸で食べるといい」
「やった!」
唯斗は立ち上がり、インナにリチャードを示す。
「こっちは傭兵のリチャード、英国の警備会社の所属だから腕は確かだ。大使館の警備に加わってもらう」
「リチャードだ、よろしくな」
「インナ・ディアロです」
インナは少し顔を赤らめる。明らかにイケメンな白人だからだろう。
インナたちを公邸に連れていく前に、唯斗は小声でインナに尋ねる。
「アンリに大使たちの話は?」
「しました。聡太には父親の話を控えるように言ってあります」
「ありがとう。荷物は?」
「大事なものはすべてまとめてきました。家にストックしていた備蓄も持ってきてあります」
「良かった。一応こちらも備蓄はあるがいつどうなるか分からない。滞在中は自分たちの分から消費してくれ。とりあえず朝食は一緒に」
「はい」
唯斗は備蓄を大使館のものにまとめることはしなかった。自分の分だと主張されても困る。代わりに、持ってきた方を先に消費させることにした。その方が、備蓄頼りになる数日後に公平性を担保しやすい。
必要な話を済ませ、唯斗はインナたちを連れて公邸に向かい、加奈子たちにもインナとアンリが公邸で寝泊まりすることを伝えた。また、加奈子には今日明日の二人の食事は二人が自分で用意すると伝えてある。
加奈子たちが用意してくれていた朝食のうち、唯斗の分はインナとアンリに食べさせ、唯斗は自分で用意することにする。リチャードは自分が、と申し出たが、明るい空気にするならリチャードの方が適任だ。
唯斗はキッチンで適当にパンをもそもそと食べつつ、今後は貴重になるであろうコーヒーを飲む。地上階のため、開いた窓から入る朝日に息をつく。
唯斗の頭の中は、国内の各勢力の現況やウスマンとインナから聞いた市内の様子などの情報を組み立て、今後数日の予想をつけていた。どう考えても悪くなる未来しかなく、ため息をコーヒーで飲み込んだ。