サヘルの夜明け−27
市内南西部、4区にある旅行会社に到着したのは13時のことだった。
ここまで来てもなお、市内中心部での銃声がたまに聞こえてくる。また車やタイヤが燃やされたのか、いくつか煙も見えていた。
この旅行会社は、日本の大手旅行代理店などが提携する現地旅行会社であり、市内では大手にあたる。
自社保有のバスが多く、本社に隣接する駐車場にはずらりとバスが並んでいた。
この国はあまりめぼしい観光資源はないが、ラヴァルヴィル旧市街や北部の7区にある泥のモスク、および市内最大のモスクであるラヴァルヴィル大モスクなども観光地として有名だった。旧市街には大聖堂やオールドマーケットなど人気の観光地もある。
また、雄大な自然を楽しめる場所は国内の各地にあり、周辺国やフランスからの観光客が多い土地である。
その旅行会社の受付に来ると、すでに多くの人々がスタッフたちと相談しており室内は話声で満ちていた。応接用のテーブルには到底収まらず、立ち話も多い。
白人、アラブ人、アジア人、黒人と人種が様々な来客は、ほとんどが退避を希望する企業や外交関係者だろう。一方、旅行会社側のスタッフはたまにキレている。
「あんたらを乗せるだけで乗せて、退避したらお役御免なんざなめてんのか!」
「陸路でニアメ?!そんなガソリンもう手に入りません!」
「運転手しか避難させないなんてケチくらいにもほどがある!」
旅行会社側も足元を見ている様子だが、理不尽なことを言っているとも思えない。キリスト教徒が多いだろうスタッフの焦りはひとしおのはず。
念のためといってリチャードは社内にまでついてきているため、唯斗は背後をついてくるリチャードに小さく声をかける。
「待たされるのは困る。場合によってはお前のスマイルで落とせ。交渉自体は俺がやる」
「インボイスの内訳にスマイルって書いて請求しておくぞ」
「勝手にしろ、それを処理する外務省の経理担当の顔は見てみたいけどな」
そんな軽口をたたきながら、唯斗はエジプト人らしき男の要求をにべもなく断って歩き出す女性スタッフに声をかけた。
「すまない、日本大使館の外交官だ。空港までの退避にバスと運転手を確保したい」
「はぁ、見ての通り忙しいんですが」
やはり嫌そうにする。それに対して、すかさずリチャードが唯斗の後ろから困ったように微笑む。
「頼む、日本大使はテロで亡くなって大変な状況なんだ」
「っ、」
リチャードを見て女性スタッフは目を丸くする。そして咳払いをして態度を変えた。
「…こちらへどうぞ。お話は聞きますが、応じるお約束はできませんよ」
「応じてもらえるようにするために俺がいる。ありがとう」
礼を述べて女性についていき、端にあるブースに入る。室内の喧騒はパーティションで打ち消せるようなものではないが、互いの声はよく聞こえた。
「改めて、日本大使館の外交官、雨宮唯斗だ」
「営業部門のアデル・サワドゴ(Adèle Sawadogo)です。ご用件をお聞きします」
名前からしてモーレ人だろう。見た目もそう見える。フランス語の流暢さや営業職ということからもキリスト教徒とみていい。
「中型バス2台と運転手1名をお借りしたい。もう1台は当館の運転手が運転できる」
「現在この状況ですので、送迎業務は行っておりません」
恐らくこれは定型文だろう。本当にそれだけで済ますなら話など聞かない。この室内での喧騒が物語るように、通常のサービスではない形での報酬を交渉する、ということだ。もはやこの国は平時ではない。ただの金銭的報酬だけでは意味がないし、暴落して紙屑になろうとしている通貨で払われてもただ働きと一緒だ。
「我が国は現地協力者とのその家族の日本への退避を容認しています。そして、退避させる現地協力者の範囲は私に一任されている。つまり私が決められます。誰をこの国から安全な日本に避難させられるのか」
「日本に…」
日系企業や日本の団体観光客との関わりが多い会社だ、日本語ができるガイドもいると聞く。日本がいかに安全かはよく知っていることだろう。この国のほとんどの人にとって、日本はあまりに遠くほぼ身近ではないが、ここは違う。日本のことをよく知っている。
アデルは少し考え、こちらを見据える。
「私は社内結婚をしていて、旦那はバス運転手です。中型バス2台と運転手1名、でしたよね。それでは、その運転手を私の旦那として、私と娘も一緒に日本へ連れて行ってくれますか?」
「構いません。政府として迎え入れますので、当面の生活も保障します」
「あぁ、神よ、感謝します。少々お待ちを、主人を呼んできます」
アデルは十字を切ってから、すぐ立ち上がって運転手だという旦那を呼びに行った。佐伯から遠慮せずカードを切っていいと許可されていてよかった。相手がキリスト教徒という迫害される側に回ろうとしている立場だったことも功を奏した。