サヘルの夜明け−31
ノックをして扉を開けると、ウマルがこちらを見上げる。
「どこか行かれますか?」
「いや、今後の話だ。日本への退避は17日か18日に行われる。それまで、ウマルには大使館に常駐して欲しい。それにあたり、家族を大使館で保護する許可が出た」
「本当ですか!それはよかった、妻子を残していることが気が気でなく…それで、私と家族も日本に行けるんですよね?」
「あぁ。だから、もう家には帰れない前提で荷物をまとめてきてくれ」
「分かりました」
「今日はもう俺も出る予定はないから、今からでも家戻っていいぞ。時間もかかるだろうしな」
「そうします」
ウマルは心から安堵したようにしていた。もとから、日本に退避したそうにしている節はあったため、家族ともども退避できると聞いて喜んでいるようだった。
ウマルが帰り支度を始めたため、唯斗は外に出て今度はムーサに話をしようとしたが、ちょうど正門にはムーサとウスマンの二人がいた。交代の引継ぎ時間は通常13時前後だったが、今日はムーサの到着が遅れたのだろう。これはよくあることだが、非常にタイミングが良かった。
「二人ともいたか、ちょうどよかった。ウスマンには電話で伝えることになると思ってたから」
「退避のことですか?」
唯斗が声をかけると、すぐにウスマンが理解する。状況が状況だ、めどがついたと判断したのだろう。
「あぁ。今のところ、17日か18日になりそうだ。それで、知っての通り市内の治安が急に悪化してる。ウスマンが言ってた銃を配ってる勢力はISだ」
「ISが…」
ISがどのような組織か、二人もよく知っている。本来、二人はムスリムでありプラ人であるため、ISを過度に恐れる立場ではないのだが、西側の大使館に長らく勤務していたため目を付けられる可能性が高かった。
「ムーサもウスマンも、家族ともども日本への退避が可能だ。そして俺は、二人に退避の日まで大使館に常駐してもらって、リチャードを含めて3人で警護する体制にしたいんだ。だから、二人が帰らなくて済むよう、家族を大使館で保護したい。どうだろう」
唯斗の提案に、二人は少し驚いたようにする。
「良いのでしょうか、ウスマンは5人、私に至っては一家6人です。大使館に籠城できるなら助かりますが…」
「水と食料の備蓄は問題ない。つってもギリギリの水準だから、家に備蓄があればそれも持ってきてほしい。今はスタッフと家族の安全の確保、そして大使館の武装の最大化が重要だ」
「了解しました。私は問題ありません」
「俺も問題ないですよ」
二人に常駐してもらうのは、ほぼ24時間体制で警備にあたってもらうことを意味しており、もちろん睡眠など休憩は取らせるが、常に仕事モードでいることになる。
だが家族の安全を確保できるならと考えてくれているようだった。
そこにウマルが出てきて自身の車に乗り込んだため、いったんムーサが正門を開いてウマルを通し、出ていったあとは正門を閉じて施錠する。
「それで、もし日本に退避する場合は、もう家には帰れないことになる。退避する可能性があるなら、帰れない前提で荷物を整理しておいてくれ」
「…分かりました」
国内で避難した方が、ムスリムであり初等教育しか受けていない彼らには楽だ。日本への避難が、安全であっても楽ではないことを理解しているため、二人とも迷いが見られた。ただ、退避まで否応なしに三日以上ある。その間に家族で話し合って決断してくれればいい。
「二人の家族については、明日、ウマルにそこのバンで二人の家を訪問してもらって回収しようと思う。とりあえずウスマンはこのまま帰宅してもらって荷物整理、そして明日の朝8時にウマルが迎えに行く。ウスマンたちを大使館に収容したら、その時点で入れ替わりにムーサも帰宅、正午にウマルが迎えに行く。それでいいか?」
二人は頷き、ウスマンは帰宅準備を始める。これですべてのスタッフと話はついた。
唯斗の予想通り、散発していた銃声はやんでおり、軍がデモ隊を制圧したことを窺わせた。恐らく、今日はもう大丈夫だ。明日も午前中いっぱいは落ち着いた状況が続くだろう。明日のうちに、どれだけDASAK連合がハイレに接近するか、JMASが先遣隊を送ってくるかで状況が変わるはずだ。
自衛隊が来るまで最短でもあと三日。人生で一番長い三日間になりそうだ。