サヘルの夜明け−36


その後、公邸で朝食を食べていると、ウスマン一家が到着したようで、ウスマンが公邸の玄関までやってきた。呼び鈴を鳴らされ唯斗が玄関に出ると、早速、子供たちが楽しそうに中庭の芝生ではしゃいでいるのが見えた。3人の子供はいずれも娘のようで、お転婆な少女たちが遊んでいた。


「おはようございます、唯斗さん」

「おはよう、ウスマン。子供は朝から元気でいいな」

「俺も元気ですよ!」

「なんで張り合ってんだよ」


そんな軽口を交わしてから、ウスマンの隣の女性に目を向ける。性格の明るそうな美人だ。すぐにウスマンも紹介してくれた。


「妻のアダム(Adame)です。あそこで遊んでるのがうちの子供ら3人です」

「アダムです、この度は大使館に迎えてくださりありがとうございます。子供たちが心配でしたので、本当に安心しました」

「外交官の雨宮唯斗です。気軽に名前でどうぞ。ウスマンには大使館の警備にあたってもらいますので、当然のことです。お部屋に案内します。ウスマンはムーサと交代してくれ、シフト交代してからあんまり時間経ってなくて悪い。まぁ、子供らに負けないくらい元気なら大丈夫か」


入れ替わりでムーサを帰宅させ、家の片づけをさせなければならない。昨夜のうちに妻に連絡して整理は進んでいるだろうが、それでも家にはもう帰れないかもしれないとなれば、なるべく時間を取ってやりたかった。
ムーサと交代するよう依頼すれば、ウスマンはにかりと笑う。


「任せてください!アダム、子供ら頼む」

「分かってるわよ」


そうして唯斗はアダムと子供たちを大使館の2階に連れていき、ウマル一家の向かいの部屋に通す。サンガレたちは扉を開けていたため、廊下で両家が挨拶を交わす。
その後、同じように施設の説明をして掃除を依頼すると、サンガレが気を利かせて掃除用具一式を持ってきてくれた。


「残りは私から説明しておきますから」

「ありがとうございます、それではお任せします」


実際朝食の途中だったため助かる。アダムたちのことをサンガレに任せ、唯斗は公邸に戻る。
インナとクレアは公邸の前のガーデンテーブルで朝食を取っており、アンリは食べ終えたのか花壇を見ている。これでムーサ一家がやってくれば、本当に大所帯だ。

この地区での治安が悪化したら、子供たちにも室内に留まってもらう必要がある。今のうちに外で遊んでもらった方がいい。


そうして朝食を終えると、唯斗は佐伯への定期報告を行うために領事業務室に入る。インナとクレアは、残る29名の邦人のパスポート情報や在留資格などをまとめていつでも出国できるよう準備をしてもらうことになっているが、もはや出勤と退勤を厳密にする必要はないため、始業はいつでもいいと言ってある。


『佐伯だ、そちらはどうだ?』

「おはようございます。こちらは問題ありません、やはり市内は落ち着いています。それで、各勢力の状況はどうでしょうか。もはや国内では国営放送の大本営発表しかなく…」


目下、唯斗の懸念は情報の不足だった。ネットは今も使えず、VPNなども規制されている。テレビやラジオについても、民間のものは検閲が入っており、国営放送と同じようなことを報道するかバラエティー系をやるほかなく、国営放送は当然ながら政府側に都合の良いことしか報じない。
こうなると、周辺国や米国・英国・カタールの国際的な報道機関を頼るしかない。


『DASAKとISの本体はすでにデルタ州北部に到達していて、今日の夕方にもハイレ郊外に陣取ると予想されている。明日にはCMMもハイレに到達するだろう。一方、ARSNも旧東方師団の本体が基地を離れて西に進んでおり、こちらも今日にはモイヤンニジェール州に入る見込みだ。それに呼応して、JMASはニジェール川に大規模な船舶集団を用意しているようだから、こちらも今日中にマレに入るだろう』


大使館の仕事には情報収集も含まれる。さすがにスパイのようなそれではないが、情報収集を専門とする担当者もおり、ガーナの日本大使館には、ピナルエサヘルに関する情報収集を行う担当者が派遣されていた。
唯斗は佐伯が教えてくれた状況を聞きながら地図に付箋を貼り、今後数日の予想を立てる。


「本日にはJMASと政府軍がマレで戦闘を開始、明日16日にはDASAK連合がハイレで政府軍と戦闘開始、そして17日にはARSNが中央州に到達する、といったところですね。マレもハイレも政府軍がかなりしっかり待ち構えているようなので即日陥落とはいかないでしょうが、CMMが明日の早い段階でハイレに到着すれば物量で制圧できるかもしれません」


ニジェール川中流域のラヴァルヴィル周辺の中央州、ウーロ・ジャム周辺の中央東州は、川沿いの都市部を領域とする小さな州だ。隣り合うこれらの州を囲うようにして川沿いに大きく国道中央部に広がるのがモイヤンニジェール州(Moyen Niger)で、フランス語で「ニジェール川中流域」を意味する。
中央州と中央東州を囲むように広がることから、モイヤンニジェール州は隣接するDASAK連合とJMASが接近するデルタ州、CMMが接近する南方高原州、ARSNが接近するジャーリバ州との壁のようになっていた。

モイヤンニジェール州の州都はマレ=デュ=ニジェール(Marais du Niger)といい、フランス語で「ニジェール湿原」を意味する。内陸デルタ北部のニジェール川沿いにあるため、広大な湿原が広がっているのだ。長いため、基本的には「マレ」と略して呼ばれる。

マレは中央州とデルタ州の間のニジェール川沿い、デルタ州都シャールヴィルとラヴァルヴィルの間のラヴァルヴィル寄りに位置する。そのため、マレはラヴァルヴィル都市圏の西の端でもあった。
ラヴァルヴィルの目と鼻の先にある都市ということで、マレが陥落すればあっという間にラヴァルヴィルに到達できる。車で1時間とかからない距離なのだ。

ハイレもモイヤンニジェール州に位置しており、ラヴァルヴィルから車で2時間ほどの距離にある。ラヴァルヴィルの西にあるマレ、南にあるハイレがそれぞれ陥落すれば、あとはもうラヴァルヴィルに入るだけとなる。


『さすがにDASAK連合もハイレ攻城戦は無傷では済まない。ラヴァルヴィル進軍前に休息をするだろう。ただ、それを考慮しても、最短で17日にはラヴァルヴィルで戦闘が発生する可能性があるな』

「自衛隊機が最短で到着する日でもありますね。最悪、戦闘中に退避、ということになるか、そもそも延期になるか…ガソリンの備蓄もそう多くはありません、ラヴァルヴィルから退避できないとして、全員をウーロ・ジャムまで陸路輸送することは難しいです」

『そうなれば、フランス軍を頼るほかないだろう。こちらも外務省を通してフランスとの交渉を進めておくが、ラヴァルヴィルからの撤退ができないことを見越して、水だけでも19日いっぱいまで保つようにしてあるとベストだ』

「そのようにしてあります」

『上出来だ。また何かあれば共有する』


佐伯との通話を終えて、背もたれに深くもたれる。複数の敵勢力が市街地に侵入しつつある中で退避を行う状況が想定されはじめ、ため息を必死に堪える。明後日がいったいどうなっているのか、考えたくもなかった。



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