サヘルの夜明け−43
2024年1月16日
朝起きると、すでにリチャードはいなかった。夜中のうちに交代していたのだろう、ベッドを出ていったことにまったく気づかなかったあたり、唯斗はかなり深く寝入っていたようだ。
いつも通りのワイシャツとスラックス、革靴に着替えて、領事業務室のテレビで報道を確認する。やはり朝からハイレではDASAK連合と政府軍との戦闘が始まっているらしい。報道では政府軍優勢と報じているが、実際はどうか分からない。
公邸に向かうため外に出ると、やはり外壁の弾痕が朝日に照らされてよく見える。ただ、玄関の上の壁に埋められたポールから垂れる日本国旗は奇跡的に無事だった。
公邸の玄関に着き、加奈子に通してもらってダイニングに入ると、インナとアンリ、クレアもいた。彼女たちの備蓄は切れてしまったのだろう。
「おはようみんな。よく眠れたか?」
インナたちに尋ねると、苦笑して首を横に振る。クレアも隈ができていた。
「子供たちは眠れたようでしたが、あたしらはほぼ眠れませんでした。唯斗さんは寝られました?」
「なんか寝られちゃったんだよな」
冗談めかして言えばインナは笑い、クレアも小さく笑みを浮かべる。アンリと聡太は疲労こそ見えたが、一晩寝たことで元気になっているようだった。
「お二人はどうですか」
加奈子と美紀に確認すると、二人もやはり寝られた様子ではなかった。
「もともと最近眠りが浅かったから…」
「一瞬寝てもすぐ目覚めてしまいました…」
加奈子も美紀も疲労が見られる。夫を亡くしたことでそもそも眠りも浅いところだっただろう。一刻も早く日本の実家に帰らせるなどしなければ、一週間このような生活が続けば二人は完全に心を病んでしまう。
昨日今日と、加奈子たちが唯斗の分の朝食を用意してくれることに甘えてしまっており申し訳ないが、昼食などで手伝いを申し出ても断られてしまうため、今は何も言わずに甘えていた。申し訳ない気持ちはずっとあるものの、やるべきことに追われる唯斗のためということだけでなく、世話を焼くこと自体が特に加奈子の心の安寧に寄与しているようだったため、固辞もしていない。
そうして食事を終え、聡太とアンリには今日一日室内にいるよう言ってから外に出ると、ちょうどリチャードがやってきたところだった。
「おはよう唯斗、よく眠れたか?」
「おはよ。それはお前が一番よく知ってるだろ」
「はは、確かにな。ぐっすりで安心した」
交代で出ていくときによく知っているだろうと言えば、リチャードは笑って頷く。
そしてすっと唯斗に近寄ると、耳元に顔を寄せる。
「寝顔も可愛かったぞ」
「っ、ばか」
肘で小突けば、リチャードは笑って離れて公邸に入っていった。ムスリムや敬虔なカトリックも多い国だ、あまり同性の接触は公にしない方がいい。
そうして領事業務室に入り、佐伯への朝の定期報告を行う。昨晩のことは、こちらに被害がないことから、閉館後のため佐伯の個人の携帯電話にかけてまで報告することではないと判断し、まだ伝えていない。
『おはよう、佐伯だ。問題ないか?』
「おはようございます。昨晩、強盗の襲撃を受け、撃退するため銃撃戦になりました。人的被害はなく、施設の目立った損壊もありません。強盗側は15名、死者は主犯格を含む10名です」
『そうか…確かに強盗だったんだな?』
ISなどの襲撃であれば話が変わってくる。念のためそこを確認してきた佐伯に肯定する。
「はい、武装勢力を示すマークや主張はなく、単に金と食料を目当てにしていました。警察に通報し、夜のうちに遺体は片付けられていますが、こちらへの事情聴取などはなく、当然、ウィーン条約違反に関する政府からの申し開きもありません。市内の治安は一線を越えたとみていいでしょう」
大使館が襲撃されたとあれば大事であり、本来は政府から謝罪と補償があってしかるべきだ。しかしまったく連絡はなく、もはやそういう平時の対応は一切取られない。
『そうだな、もう末期と言っていい。この次のフェーズは市街戦だ。JMASはすでにマレ郊外を占拠、DASAK連合もハイレ市街地に入りつつあると報告を受けている。政府は反政府勢力との停戦交渉を拒絶していると国際社会からも批判が高まっている。いよいよ最も厳しい局面だ』
「今日は旅行会社の協力者と家族が、もう一台のバスとともに大使館へやってくることになっています。収容した各家庭には、子供たちを外で遊ばせず、なるべく大使館に人が集まっていることが外から見えないようにしてもらいます」
『あぁ、最大限警戒してくれ。無理はするなよ』
そうして電話を終える。唯斗はため息をつく。佐伯も同じことを思っているだろう。
無理をせずに済む状況では、もはやなくなっている。