サヘルの夜明け−45


フランス領事館、および米国大使館は1区のダンババ通り沿い、主要国の大使館や、首都だったころに使われていた旧行政庁舎、高級ホテルなどが立ち並んでいる区画にある。
ウマルはダンババ通りではなく少し外れた道を北上しており、フランス領事館の裏手からダンババ通りに回り込むルートを取っていた。

そうして1区に入ると早速軍の検問があった。

兵士に止められると、後部座席から唯斗が窓を開けて外交官パスポートを提示する。近づいてきた兵士にフランス語で説明した。


「日本大使館の外交官だ。フランス領事館に用事がある」

「…通れ」


パスポートを確認し、兵士はすぐ合図して検問を開ける。まだ軍の検問は正しく業務を遂行していた。
それに少しだけ安心しつつ、さらにもう一つ検問を超えてから大使館街エリアに入り、ダンババ通りに出てフランス領事館の正門に回り込む。
門の警備員に、再びパスポートを提示すれば車ごと進入を許可され、門を通って領事館の駐車場に入った。


「ウマルとリチャードはここで待機してくれ」


ウマルはもちろん、リチャードも立場的には民間人に過ぎない。がっちり警護された場所であることもあり、リチャードもすぐ応じた。

唯斗は一人で公用車を出ると、植民地時代をしのばせる瀟洒なコロニアル建築の大きな建物に入る。正面階段を上がってエントランスに入ると、すでに大勢の人々が集まっていた。大半がフランス人だ。
受付に向かうと、思いのほか受付は空いている。通信ができなくなって怯えたフランス人が駆け込んできただけだからか、来客用の受付には人がいなかった。


「日本大使館の外交官です。アポなしで申し訳ありませんが、フランス領事にお会いしたい」


パスポートを見せて依頼すると、受付の黒人女性はすぐに内線電話をかける。短く会話してから受話器を置いた。


「30分お待ちください。応接室にお通しします」

「ありがとうございます」


断られる可能性や外交官が出てくる可能性もあったが、あっさりOKが出た。別の女性に小さな応接室に通され、二脚が向かい合う一人掛けの革張りソファーに腰かけた。
恐らく、周辺の大使館からも外交官や大使が来ているのだろう。30分ということは、多少遅れるだろうがあともう一人が待機しているとして二番目ということになる。国によっては外交官が相手しているはずだ。

そうして予想通り遅れること45分、ドアがノックされて開く。唯斗はすぐに立ち上がり、入ってきた領事に近づく。


「お待たせしました」

「お忙しいところありがとうございます。日本大使館の外交官、雨宮唯斗です」

「フランス領事のニコラ・モレルです。大使のことは聞いています、本当に残念でした」


握手をしながら自己紹介すると、橋本大使のことに言及される。こうして領事館のトップ自ら出てきてくれたのは、大使が死亡するという事態を知っていたからだろう。

ソファーに揃って腰かけると、ニコラは心配そうに尋ねる。


「それで、今の日本大使館に大使や本国からの増援はあるのですか?」

「今はガーナの日本大使が兼任という形を取っていますが、本国含め誰もこちらには来られませんでした。現在、私一人で退避に向けて準備を進めており、ガーナの大使や本省と連絡しながら明日にも実施する予定だったのですが…」

「それは…本当に大変でしょう」


見るからに若い唯斗が一人で大使館を回しているという状況に、ニコラは痛ましそうにした。優しい人物なのだろう。だがここは外交の場、人道的配慮はするがあくまで交渉をする場所である。
彼は優しいだけではないし、唯斗も甘えるだけではない。


「我が国は明日17日に自衛隊機による退避を行う予定でしたが、今日の状況報告を受けての最終判断がなければ自衛隊は動かせないことになっています。自衛隊の輸送機はC2が1機、C130が1機で、C130はアクラに停留する予定です。各国の退避や国連などの退避も進まないでしょうから、我が国としても邦人に限らずとにかく退避対象者を乗せることになっています」

「C130はアクラですか…C2というのは?」

「日本の国産輸送機で、C130よりやや定員が多く100名ちょっとは乗せられます。航続距離も長く、恐らくジブチから直行、もしくは経由一回で日本まで行きます」


ピナルエサヘル国内のフランス人は千人単位で存在している。現時点でも数百人が取り残されているだろう。国連など国際機関の撤退についても、旧宗主国としてフランスが一義的責任を負う。
通信ができない今、乗せられる輸送機にとにかく乗せる、というオペレーションが必要だ。
C130はNATOでも配備されておりフランスにとっても身近な機体だ。C2は日本の国産機のため聞き慣れないようだったが、スペックはC130より高いため、アジア諸国からフランスに依頼されている避難者を日本に振り分けることができる。


「…現状、我が国も電話回線がすべて遮断され、フランス本国と通信できません。ただ、恐らくウーロ・ジャムには外国との通信が可能な回線が残されているでしょう。もし18日になっても状況が変わらず撤退できなければ、19日を目途にフランス軍も完全撤退する予定になっていますので、それに合わせてウーロ・ジャムまで日本人も護送し、ウーロ・ジャムで自衛隊機に国連などの職員とともに乗せる、というのはどうでしょう」

「ありがとうございます、本当に助かります。それでは18日に退避できなければ、改めて19日にこちらにご相談に来てよいでしょうか」

「はい、それでいきましょう」


これで陸路移動の最後の手段は確保できた。食料の備蓄は18日で底をつく、19日には何がなんでもこの国を出なければならないため、19日にフランス軍の撤退に合わせてウーロ・ジャムへ移動する、というのを最終手段として持っておける。

丁重に礼を言って領事と別れ、駐車場に戻り後部座席に乗り込む。ガソリンの節約のため、窓を開けてなんとか風を入れようとしていた。


「おかえり唯斗、どうだった?」

「19日にフランス軍とウーロ・ジャムに陸路移動する算段はつけた。もし18日までにラヴァルヴィルから退避できなければ、これを最後の手段にする」

「おお、さすがだな」

「でかい輸送機2機を送り込んだ政府の判断に感謝だ。よし、次は米国大使館に行くぞ」


スーダン退避のときも同じくC2とC130が退避のために確保されていた。実際に運んだ人員はそう多くなかったが、この派遣によって、欧米各国に対して「日本も退避を手伝える」という意思を示した。これが功を奏して、各国は日本に情報共有を行い、日本はハルツームからポートスーダンまでの陸路移動からの退避を実現できたのだ。
ただ助けを求めるのではなく、自分たちも助けに行く、という姿勢であることが重要であり、ゆえに自衛隊の派遣には大きな意義がある。



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