サヘルの夜明け−46
続いて、すぐ近くの米国大使館に入った。ここでも門で日本の外交官だと伝えればすぐに通してもらえ、エントランスに入ると、そこはフランス領事館と違って閑散としていた。
革靴の足音が響く中、受付に入るとやはり黒人の女性が応対してくれる。
「どうされました?」
「日本大使館の外交官、雨宮です。大使とお会いしたいのですが」
「少々お待ちください」
内線電話をかけ確認してもらっていると、きれいな英国英語を話しながら階段を下りてきた男性二人組が目についた。あれは一度大使館で見かけたことがある、英国大使館の外交官と大使だ。やはり情報交換に来ていたのだろう。大使がいない、という状況がどれほどのことか改めて実感する。
「今ちょうど前の用件が終わったところなので、すぐお通しします。こちらへ」
「ありがとうございます」
前の用事とは英国大使らとの面会だろう。タイミングが良かった。それにすぐ都合をつけてくれるとは、フランス領事に続き驚きだ。
唯斗は女性についていき、フロアを上がって大使室に通される。
ノックの応答を聞いて女性が扉を開き中に入ると、星条旗が壁に掲げられた広い部屋になっていた。大使が座る大きなデスクの前に応接用のシッティングスペースがあり、大使はデスクから立ち上がってこちらへやってくる。
「ようこそ米国大使館へ」
「お忙しいところ約束もなく申し訳ありません」
「この状況ではアポイントメントは取れませんからね」
朗らかに笑う中年の白人男性で、こちらも優しそうな風貌をしていた。固く握手をして目を合わせる。
「日本大使館の外交官、雨宮唯斗です。お時間をいただきありがとうございます」
「米国大使、ジョン・グレイです」
ジョンはシッティングスペースのソファーを示し、唯斗は片方に腰かける。向かいに座ったジョンはまず、胸に手を置いて目を伏せる。
「橋本大使のことは本当に残念でした。とてもお世話になったんです」
「お気遣いありがとうございます。大使にお世話に、ですか」
「ええ。レバノンの大使館で外交官をしていたとき、橋本大使は駐レバノン日本大使館の外交官でしてね。2006年のイスラエルの侵攻に際してベイルートも混乱していたのですが、言葉の通じない警察に拘束されかけたとき助けていただいたんです」
橋本はベテラン外交官であり、フランス語圏への赴任が多かった。旧フランス植民地の一つであるレバノンで外交官をしていた2006年、イスラエルの侵攻によってベイルートは海上封鎖され空爆に見舞われた。空港も閉鎖され、発電所が爆破され停電していたような状況にあって、どうやら橋本がジョンを助ける場面があったらしい。
「まさかラヴァルヴィルで再会するとは思っていませんでしたから、嬉しかったんです。それがまさかこんなことに…立場上、日本大使館まで行くことができず、力になれず申し訳ない」
「いえ、そんな」
「困っていることはありませんか。代わりの大使の方は来ていますか?」
ニコラに聞かれたことと同じだ。唯斗は同情を買うつもりではなかったが、正直に話す。
「ガーナの日本大使が兼任を。状況が悪く、周辺国も治安が悪いので、増援はありません。私一人で退避を指揮しています」
「それは…なおさら、お手伝いに行けなかったことが悔やまれる」
米国の大使など、世界で最も狙われる役職といっても過言ではない。テロリストからすれば格好の標的だ。特にIS系にとってはそうである。とても出歩くことはできなかっただろう。
「ガーナの大使や本国の助けもあって、退避の算段はつけられていましたから。本来、明日には自衛隊機で退避する予定だったんですが、通信が途絶したことで計画は凍結です。先ほど、フランス領事から19日のウーロ・ジャムへの陸路移動に加わらせてもらうことをお約束いただいたのでそれは最終手段ですが、通信さえできれば自力でも脱出は可能です」
「なるほど。輸送機は何機来ていますか?」
「C130がアクラに1機、C2がジブチに1機です。タイミングが合えば、国連や同盟国などとにかく乗せられるだけ乗せる方針だとフランス側には伝えてあります」
自力でできることはやっている。それを理解したジョンは少し考えるそぶりをしたあと、こちらに少し身を寄せて声を落とす。小声というほどではないが、響かないように意識していた。
「…ここだけの話ですが。情報収集を行っていた特殊工作員がスターリンク端末を持っています。彼らも撤退する方針であり、当館で確保できるか交渉中です。工作員はハイレ付近にいるので、うまくいけば明日の朝にも使用できるでしょう。これは、退避のために軍を派遣している西側同盟国の外交関係者のみに伝えています」
米国企業が衛星軌道に大量に周回させているスターリンク衛星は、スターリンク端末というアンテナキットを持っていれば、直接スターリンクとの衛星通信ができる。最近は船や航空機にも搭載されているが、この国には出回っていない。ウクライナ戦争でその真価を発揮したため、各国の外交の場でも実装されつつあったが、ピナルエサヘルには間に合わなかった。
だが、米国の諜報員、平たく言えばスパイがそれを持っており、大使館で使用可能にする手はずなのだという。
「っ!そうですか」
「はい。なので明日、スターリンクが使用可能になった時点でスタッフを日本大使館に派遣しますので、呼ばれたらまた来てください。それで外務省と連絡を取り、退避の算段を。時間によっては米国民の退避にも協力をお願いします」
「退避はもちろん協力しますが、わざわざ呼びに来てくださるのですか?」
わざわざスタッフをこちらに派遣してまで呼んでくれるというのは、破格の厚遇だ。普通はそんなことはしない。
だがジョンは微笑んだ。
「いつか橋本大使には恩返しがしたかった。その機会には恵まれませんでしたが、こうして日本人の避難に役立てるなら、これくらいさせてください」
橋本はよく言っていた。結局は人のつながりが最後にものを言うと。
ニコラにしてもジョンにしても、橋本だったから、こうして協力してくれているのだろう。
死後もなお、こうして守ってくれている。そう感じられて、思わず唯斗は涙ぐみそうになって声を詰まらせる。ひとつ呼吸をして、深く頭を下げた。