サヘルの夜明け−47
米国大使館を出発したころには10時半を過ぎており、ラジオからはCMMがハイレに近づいているため周辺からは避難が推奨されていることが報じられていた。
先ほどから、度々上空を軍のヘリや戦闘機が南に向かって飛んでいく音が響いており、たまにミサイルが発射される音も聞こえてきていた。いよいよ戦闘がラヴァルヴィルに近づいている、それは誰の目にも明らかだった。
だからだろう、市内の大通りは大渋滞を起こしており、特にダンババ通りや、ダンババ通りが途中から合流しウーロ・ジャムへと向かう国道82号につながる道はひどい。
大使館街は何事もなかったが、一歩大使館街を出て1区の市街地の通りに出ると、まったく車が進まなくなってしまった。
この辺りは比較的道路の車線を守って車が走行するのだが、今や郊外と同様、車線を無視したぎゅうぎゅう詰め状態である。どの車も屋根の上に大きな荷物をロープで括り付けており、トラックの荷台に大家族が乗っているのも散見された。荷車を強引に車に連結しているものや、道路に落下して散乱する荷物もよく見受けられる。
その合間を、やはり大荷物のバイクや自転車が通り過ぎていく。先に進まないことにいら立つドライバーたちのクラクションや怒号が何度も響いていた。
「ウマル、多分、キリスト教徒中心に市民が中央東州方面に脱出し始めたんだと思うから、4区の方から回り込んだ方が早いかもしれない」
「なるほど、西から行くわけですね。ではそのように」
恐らくこの市民の大脱出は、主にキリスト教徒の市民によるものだ。すでに多くの市民が避難を開始していたものの、さすがにラヴァルヴィルが陥落することはないと思って残っていた人々も、今逃げなければどうなるか分からないということに気づいたのだろう。
市内のキリスト教徒の人口は100万人を優に超える。特に、1区や2区、3区は集中しており、そこから北・東方面に抜ける道路は軒並みこのありさまだ。
1区と2区の間には、10月2日湖とラヴァル川から引き込むジェイターレ川という水路があり、ジェイターレ川は1区と2区の境界になりながら新ビジネス街まで続く。再開発を象徴する美しい水辺の都市景観があるが、1区と2区を物理的に分断しているため、川を渡る橋に車が集中している。1区中心部の大使館街から見てジェイターレ川は南東にあるため、西に向かって大回りした方が結果的に早いだろう。
ウマルはうまく反対車線に車を強引に展開し、脇道に逸れて西の4区の方へと向かっていく。
リチャードは道路の様子を険しい表情で見つめていた。
「こうも人が集まると、狙われるな」
「テロに?」
「あぁ。それに、分かりやすく家財道具とかもまとめてるだろう?金や資産を奪い取る格好のチャンスでもある。郊外の方はかなり数の襲撃が起こるだろうな」
「そんで、人口が一気に減った町中では空き巣や強盗が増加、治安がさらに悪化するわけだ」
「そういうこと。明後日の退避はかなりギリギリだな」
いよいよこの街の陥落が迫っている。そのような状況で自衛隊機に合流できるのか分からず、明日の退避ができなかったことが悔やまれてならない。
ウマルのおかげで4区に出てからはスムーズに進み、市内の喧騒こそ変わらないが、なんとか3区の大使館まで戻ってくることができた。
到着したときには11時半近くになっていた。駐車場には中型バスが2台並んでおり、やはり唯斗たちが不在中にエドモンが来ていたのだと分かる。中型とはいえバスが2台並ぶ様子は圧巻で、6台分の駐車スペースは4台分埋まり、もう公用車と日系企業から借りたバンしか置けない。
インナやクレアなど職員たちの車は中庭に移動しており、すっかり敷地の見晴らしは悪くなっていた。これはこれで、襲撃があった際に遮蔽物が多くなって逃げやすい。
車を降りて、ムーサが正門を閉じると、リチャードはムーサと交代について相談しに行き、ウマルは家族のもとへ向かう。唯斗も大使館に入って領事業務室に向かおうとすると、ちょうど階段を下りてきたエドモンと再会する。後ろには妻アデルと少女がいた。
「エドモン、来てくれてたんだな」
「ご無事で何よりです、唯斗さん。こちらは娘のオディール(Odile)です」
唯斗はエドモンと握手して再会を喜ぶ挨拶をしながら、アデルとオディールに目をやる。
「みんな無事に合流できてよかった。部屋は問題ないか?」
「まったくありません。オディールもホテルのようだと喜んでいます」
オディールは人見知りなのか、照れたようにアデルの後ろに隠れてしまった。可愛らしさに笑いつつ、先に二人に状況を説明する。
「うまくいけば、明日のうちに米国大使館で日本側との連絡を行って、18日にラヴァルヴィル空港から退避する方向で最終決定するはずだ。もし退避できなかった場合、19日にフランス軍とともに中央東州へ陸路で移動する」
「分かりました。問題は日本人の移動ですね」
「あぁ。それについては後で関係者を集めて会議する。それまでは昼食でもとっててくれ」
唯斗はエドモンにそう伝えてから、玄関を出て正門に向かう。まだリチャードとムーサが話していたため、リチャードにも午後一で会議をすると伝えておいた。
そのまま公邸に向かい、状況を確認するため呼び鈴を鳴らすと、加奈子が出てくる。
「おかえりなさい、無事でよかった」
「市内はかなり混乱していますが…何か変わりありませんでしたか?」
「日本人の夫婦が一組、避難してきたわ」
加奈子はそう言ってダイニングに声をかける。すぐに、中年の男女が出てきた。
唯斗は会釈をして自己紹介を先にする。
「外交官の雨宮です。ご無事でよかった」
「田中です、すみません、お忙しいときに避難してきてしまって…」
「いえ、むしろ退避に向けてどう日本人を回収するか考えなければならなかったので、ご自身で来ていただけて助かりました。滞在場所について考えるので、もう少しここでお待ちください」
あらかじめ、残っている日本人のことは全員頭に叩き込んである。田中、と聞いて夫婦で滞在していた者たちを思い出した。夫の方が自動車メーカーの駐在員だ。
やはり、通信ができなくなったことに怯えた日本人の大使館への避難が始まった。これはすぐに、彼らの滞在する場所を確保する必要がある。