サヘルの夜明け−52
その夜、ついに国営放送の報道が終わりテレビはすべて砂嵐となり、ラジオからはハイレが陥落したとの報道が入ってきていた。
恐らく、明日はDASAK連合も休息にあてるはずであり、政府軍もラヴァルヴィル郊外に大規模に布陣していることからも、明日いっぱいは市内への進軍にはならなさそうだ。無事に邦人の保護は可能だろう。
また、発電所の人員も不足しているのか、度々停電するようになってきている。唯斗は各部屋に蝋燭を配布し、水が出るうちにバスタブに水を貯めるよう指示した。唯斗も、大使室に備え付けられたシャワー室にあるバスタブに水を貯めておいた。
今日の仕事もすべて終えたところで、唯斗は自室に戻る。そこには、リチャードがすでに荷物を持ってきていた。
今晩から、リチャードが使っていた部屋には邦人が入っている。明日には、唯斗もリチャードも大使室で寝泊まりすることになるが、今晩は同じ部屋だった。
「悪いな、部屋移動してもらって」
「どうせちょっと寝てシャワーするくらいしか使ってなかったしな。唯斗はもうシャワーしたか?」
「あぁ、夕食のあとに。リチャードは?」
「さっきここの借りたぞ。じゃあ、あとは寝るだけだな」
そう言うなり、リチャードは唯斗の腕を掴み、そっと、しかし有無を言わせず、ベッドに引き込んだ。またもリチャードの左腕を枕とするような態勢となってしまい、唯斗は抱き込まれつつ不満を述べる。
「…おい、腕痺れて銃撃てませんとかシャレにならねぇぞ」
「唯斗の頭一つで痺れるほどやわな鍛え方してないからな」
この男はなんだかんだ俺様気質というか、朗らかで爽やかな性格をしているから誤魔化されるだけで強引な性格だ。王様気質といってもいいかもしれない。
今晩はリチャードもTシャツを着ていたため、昨晩のように上裸で抱きしめられていないことから、とりあえず唯斗も不問とする。
それに、先ほどの口論の仲裁からずっと、こうしてリチャードの体温を求めていたのも事実だ。
ついリチャードの胸元にすり寄ると、リチャードは小さく笑って頭を撫でてくる。
「本当に、さっきは格好よかったぞ。クレアも分かってくれたはずだ」
「…ああいうの、向いてねぇ。それに、大使ならそもそも口論にならないようにできた。クレアが爆発するまでケアできなかったのは、俺の落ち度だ。上司として、この状況のリーダーとして」
「でも、今日のことがなければクレアはずっと、ここで一緒に過ごしたムスリムたちのことを嫌い続けたはずだ。唯斗の言葉は、クレアのイスラーム全体への嫌悪感を、個人には向けないようにするものだった」
あのあと、クレアは静かだったが、どこかすっきりしたような様子でもあった。エドモンたちももはやクレアへの嫌悪感はないようで、吹っ切れているようだった。皆、この状況ではああなってしまっても仕方ない、というようにも考えてくれているかもしれない。
「それにな、俺は感動したんだ。唯斗の言葉に」
「感動?」
「あぁ。笑顔を向けられなくても銃口を向けないことはできる。手を取り合えなくても拳をほどくことはできる。確かに、俺はそれこそが平和だと思った。唯斗は、各宗教や文化の持つ大切な価値観を尊重し、だからこそそれが衝突して分かり合えないことが、逆説的に人の文化の多様性を象徴する大事なことなんだと述べた。それは、分かり合えない事実から目を背けて共生を叫ぶより、ずっと建設的だと思った」
唯斗が話したことを端的にまとめたリチャードに、唯斗は多少照れくさくなる。だが、真摯に話す様子に、正面から言葉を受け止めてくれたことを嬉しく思った。
リチャードは手を唯斗の背中に回し、より深く抱きしめる。温もりに包まれて、知らず張っていた気が緩む。リチャードの腕の中にいると、張りつめた心が弛緩するようだった。
「俺には、唯斗の言っていることがとても尊いことに思えたんだ。そうしたら、なんだかこうやって抱きしめたくなってしまった。これでも我慢してたんだ」
君に惹かれた、なんて言っていた夜よりも、リチャードから向けられる感情がより深く、重層的になっている。たった数日しか経っていないはずなのに、この数日の密度が濃すぎたのか、唯斗にとってもそれは自然なことのように感じられてしまった。
「…ん、俺も、こうされたかった。あの場を治めるのは怖かったし、不安だったから」
「そうか!なら良かった。おやすみ、唯斗」
もう寝てしまっていい、という優しい声音に、急速に睡魔がやってくる。そのまま目を閉じればすぐに意識が遠のいた。