サヘルの夜明け−53
2024年1月17日
翌朝、唯斗はいつも通り起床する。やはりリチャードはすでにおらず、夜間に交代したのだと分かる。今回もまったく気づかなかった。こんな状況で熟睡できるとは、と我ながら呆れてしまう。
テレビが使えなくなったため、ラジオで朝のニュースを聞きながら支度を進める。ラジオ局は首都にあるため、まだ営業しているようだった。ワイシャツを着ていると、昨晩のうちにハイレが、今朝にはマレが次々と陥落したことが報じられる。
ラジオも政権寄りの大本営発表にあたるものだが、それでも事実は事実、ラヴァルヴィルの最終防衛ラインで軍が強固な守りを築いていると報じているが、すでにラヴァルヴィルが戦場と化すまでカウントダウンに入っていることには変わらないだろう。
そうして支度を終えて公邸に向かうと、玄関が開いていた。昨日から35人もの大所帯になったこともあり、いちいち呼び鈴に対応することが面倒になったようで、日中は玄関を開け放しているそうだ。もちろん、夜は閉じられている。
玄関から中に入ってキッチンに向かうと、意外な光景に目を丸くした。
キッチンでは、加奈子とインナ、クレアに加え、ウマルの妻サンガレとウスマンの妻アダムが料理をしていた。インナとアダムはフフを、加奈子とクレア、サンガレはピーナッツバターソースとソンビを作っていた。ソンビとは、米をココナッツミルクで炊くものだが、普通のミルク粥よりもミルクの量を少なくして水分を飛ばし、より粘性の高いものであることが多い。砂糖も用いてほんのり甘いデザートとして提供されることもある。
唯斗に気づいた加奈子が、ピーナッツバターの缶を開けながら挨拶をする。
「あらおはよう、雨宮君」
「おはようございます。今日は皆さんで準備されてるんですね」
「そうなの。サンガレたちが手伝いを申し出てくれてね、女性たちで交代してやっていこうって話になったの。私は備蓄管理を兼ねて毎回参加するから、美紀さんはお掃除とか食器洗いとかをやってもらうわ」
「そうなんですね、ありがとうございます」
どうやらサンガレたちは自主的に、公邸の女性たちに加わって食事の準備をやることにしたらしい。
ほかの女性たちの様子を見ると、クレアがサンガレに意外なピーナッツバターの味付けを教えてもらったのか、驚きつつ笑っていた。どうやらクレアは吹っ切れたようで、昨日までムスリムたちに向けていた嫌悪感は鳴りを潜めていた。宗教も人種も違う彼女たちの楽しそうな様子を見て、きっとこれこそが、この地域の本来の姿なのだと思う。
その後、聡太とアンリとともに朝食をとり、日本人たちの体調を確認するため各部屋を回り、最後に中庭の車で車中泊をしていた男性の確認をしたところで、リチャードが声をかけてきた。朝の交代を終えたらしい。
「おはよう唯斗」
「おはよう。夜は問題なかったか?」
「問題はなかったぞ。そもそも人口が減っているからな、一気に無人になったみたいだ」
そのまま中庭でリチャードから夜の報告を受ける。やはり、人口が急減したことで強盗などの犯罪者も減ったようだ。嵐の前の静けさ、といったところだろう。
「それで南の方を少し観察してたんだが、爆撃はほとんどなかった。ハイレでの戦いはもう終結して、戦線は膠着したんだろう。少なくとも進軍はしていないし、今朝もその気配はなかった」
「ラジオで言ってたことは正しそうだな。それなら、一気呵成に中央州まで進軍するための準備中、ってとこだろうな」
やはり明日には戦線が中央州に到達しそうだ。西のマレから来るだろうJMASは外国人などをいたずら殺害することはないはずだが、戦闘に巻き込まれれば人種など関係ない。
するとそこに、ウマルとエドモンがやってきた。
「お話し中すみません、リチャードに頼みたいことがあるのですが、よろしいでしょうか」
ウマルが尋ねてきたため、唯斗は特に気にせず「問題ない」と答えると、ウマルたちはリチャードに向き直る。