サヘルの夜明け−55
その後、日本人たちが館内清掃や備品交換、井戸水の焚火による煮沸と洗濯を始めてくれた頃、正門の呼び鈴が鳴らされた。
すぐに休憩中のウスマンが正門に向かい、訪問者に声をかける。たまたま近くにいた唯斗も正門付近に向かうと、ウスマンが唯斗に声をかける。
「米国大使館の事務員だそうです」
「っ、通用口から通してくれ」
ウスマンは通用口を開けると、車から降りた黒人男性が敷地内に入ってくる。すぐ唯斗が応対するために正面まで駆け寄った。
「日本大使館の外交官、雨宮です」
「米国大使館の事務員、ミシェルです。大使より、例の件が予定通り使えるようになったので来てほしい、とのことでした」
「っ、すぐ向かいます。こちらは自前の公用車で行きます」
「了解です。それでは私は先に失礼いたします」
「ありがとうございました」
ミシェルはそれだけ伝えると、通用口から外に出て車で離れていった。ウスマンが正門を施錠し、唯斗はウスマンに頼む。
「リチャードに、すぐ米国大使館に向かうと伝えてくれ。休憩中ごめんな」
「気にしないでください!」
ウスマンはまったく気にせず笑い、無線でリチャードにコンタクトを取る。唯斗は大使館に入り、ウマルの部屋へ向かう。
これから急いで、米国大使館へ行くのだ。目的はもちろん、スターリンクによる通信である。
10分後、ウマルが運転する公用車で大使館を出ると、唯斗は市内の静けさに気づく。
昨日までの喧騒は一転し、人口が急減したことによる空虚な静けさがあった。各勢力がマレやハイレで休息中ということもあり、まだ脱出できなかった市民が急いで街を出ていく声がたまにするだけであり、人出もなければ車の通りも少なかった。
まるで、街が急速に死んでいくかのようだった。
昨日よりもずっと早く1区に到着し、検問を抜けて大使館街に入る。米国大使館の正門から敷地内に入ると、すでに何台か外国の公用車が並んでいた。
駐車場にウマルとリチャードを残して、唯斗はすぐに館内に入り、やはり静かな受付に向かう。
用件を伝えると、すぐに米国大使ジョンがやってきた。
「唯斗さん、良かった」
「本当に早速のご連絡をいただきありがとうございます」
「当然です。すでに英国など主要国の通信を行わせています。さぁ、こちらへ」
スターリンク端末の圏内になっている応接室に通され、接続方法を教わる。その場で唯斗はすぐにスマホから電話をかけた。
『こちら外務省危機管理。どちら様でしょうか』
「駐ピナルエサヘル日本大使館、二等書記官の雨宮です」
『なっ、通信ができたのですか!?ご無事でよかった…!』
普段と違う電話番号だったため、外交官しか知らない窓口ということで訝しむ声だったが、唯斗と分かると途端に安堵を滲ませた。丸一日、通信が取れない状況で国内がどうなっているか分からなかったことから、外務省は相当気をもんだことだろう。
「こちらは無事です。すでに日本人8名を大使館に保護、本日残りの民間人12名を保護する予定です。この通信は米国大使館が用意したスターリンクによるもので、今も米国大使館から連絡しています。リアルタイムで電話ができる状況にはなっていません」
『そうですか…いえ、それでも連絡が取れただけで十分です。時間もないでしょうから端的に伝えます。そちらの時刻で本日10時すぎ、C2・C130各輸送機がジブチ基地に到着。C130輸送機は同10時半にジブチからガーナ・アクラ空港へ出発し、以降は待機します。残念ながら、今日のラヴァルヴィル空港の発着枠は確保できませんでしたが、明日の昼12時半に確保しました。C2輸送機をまずは派遣する予定です。移動は可能ですか?』
「移動手段は確保済みです。今日中に残りの邦人を保護しますので、明日朝いちばんに大使館を出発、正午までに到着し、自衛隊機に搭乗します」
持ってきていたメモに急いで記入していく。明日の正午なら、恐らくギリギリ戦闘は市内には入っていないだろうが、本当にギリギリのところだ。明日の朝にDASAK連合がハイレを出発すれば、正午には中央州を突破して、市内南部にある空港に到達することは十分可能だ。
「現在、ラジオの報道では、DASAK・CMM・ISNによってハイレは陥落、JMASによってマレも陥落しています。国営放送は停波、市内からは市民が大規模に脱出しました。明日の昼頃には、ラヴァルヴィルにDASAK系の勢力が到達する可能性があります」
『もうそこまで…』
「もし搭乗できなかった場合、フランス軍が19日にラヴァルヴィルを撤退し中央東州へ移動するのに合わせて、フランス軍が保護する赤十字や国連の隊列に加わることを許可してもらっています。なので、明日退避できなかった場合、19日夕方ごろにウーロ・ジャム空港からの退避を手配してください」
唯斗がすでに先手を打っていたからか、電話口の担当者は驚いた様子だった。
『承知いたしました。ではまず、C2輸送機の離陸に間に合わなかった場合はC130輸送機を送りますので、最後まで明日の退避に全力を尽くしてください。失敗した場合、フランス軍の支援のもと19日夕方にウーロ・ジャム空港から退避としますので、ウーロ・ジャム空港の19日の発着枠も確保しておきます。国連や赤十字からの打診は我が国も受け取っています、タイミングが合えば、邦人以外も搭乗させてください』
「了解です。明日の退避に際しても、恐らく米国民をC2に乗せることになると踏んでいますので、そのつもりでお願いします」
『共有しておきます。それではお気をつけて』
ようやく本国と連絡を取ることができたため、唯斗は安心して息をつく。まずは待ってくれているジョンに共有することにした。
「明日、12時半に我が国の輸送機がラヴァルヴィル空港に着陸します。タイミングが合えば、米国民も一緒に」
「そうですか、連絡が取れてよかった。それでは頼りにさせていただきます」
「ガーナの方にも連絡をさせてください」
「もちろん」
ジョンもメモに何やら書き込む。退避するには良い時間ということもある、C2の定員スペックと残された邦人の数を考えれば、相当数を乗せられる。
それを横目に佐伯大使に電話をかける。すぐに佐伯が電話口に出た。
『佐伯です。もしかして雨宮君かな』
「はい、雨宮です。連絡ができて良かったです」
唯斗は佐伯にも状況を報告し、退避の算段がついたことも知らせる。佐伯もほっとしており、かなり心配させてしまったようだった。
『すべて承知した。頻繁に連絡は取れないだろう、というか、恐らくこれが最後になると思う。もちろん、私に何かあればいつでも電話してきてくれていいが、状況から見れば、本省と直接やり取りをするのに精一杯となるはずだ』
「そう、ですね。スターリンクの通信はここでしかできませんし、退避に失敗すれば陸路移動となるので」
『あぁ。だから、細かいことはすべて君の判断に任せる。責任はすべて私が取ろう。本省にも私にも頼れない状況での判断は、すべて君が行っていい』
リアルタイムで連絡ができないため、もし連絡できるチャンスがあれば、本省とのやり取りで直接解決した方が早いということだ。確かに、それなら佐伯との連絡は、退避が成功するまではこれが最後となるだろう。
「ご支援ありがとうございました。何かあればまた連絡しますし、ジブチに到着したら改めて報告します」
『あぁ。君と日本国民の無事を祈る』
佐伯との電話も終えると、唯斗は改めてジョンに感謝を伝える。ジョンは首を横に振る。
「お役に立てて良かった。こちらも退避に協力してもらえるのだからWinWinです。明日が正念場です、頑張りましょう」
ジョンと握手して礼を述べてから、唯斗は大使館を後にする。いよいよ退避まで24時間を切ろうとしていた。