サヘルの夜明け−56
大使館を出ると、事前に予定していた通り、JICA事務所に向かうことにした。
電話が使えたときに、JICA事務所では緊急事態が発生した場合は事務所内に立てこもって安全を図る体制になっていると聞いていたためだ。
事務所までやってくると、ウマルを車に残し、今回はリチャードとともに事務所が入る新築らしい雑居ビルに入る。リチャードはライフルをむき身で構えており、もはやいつ戦闘になってもおかしくないと警戒しているのが分かる。
階段を上がって事務所の入り口まで来ると、インターフォンを鳴らす。小ぎれいな扉がついた清潔なエントランスだが、ビルの中にはほかに人の気配はなかった。
少ししてインターフォンが応答する。
『はい』
「日本大使館の外交官です。状況の確認に参りました」
そう述べると、すぐに扉が開いた。中年の男性で、唯斗を見て少し安心したようにしつつ、背後で銃を持つリチャードに若干怯える。
「こんにちは、外交官の雨宮です。ご無事でよかった」
「JICAピナルエサヘル事務所の所長、豊田です。わざわざお越しいただいてしまってすみません、こちらから出向こうとしていたところでした」
「米国大使館に行っていたついででもありますので。退避についてお話ししたいのですが」
「ぜひ中へ」
所長の豊田に招かれ、事務所内に入る。事務室や会議室など一般的な小規模事務所のそれであり、会議室に通される。
途中、応接室ではほかのスタッフ4人がいるのが見えた。食事中だったようだ。
会議室に入って着座すると、リチャードは扉のところで控えるように立つ。傭兵というのとは一目で分かるため、豊田は何も言わなかった。
「大使が亡くなられたと聞いたときは驚きました。通信まで遮断されてしまい、大変だったでしょう」
「そうですね、正直かなり大変です。ただ、さきほど米国大使館で通信に成功したので、本省とのやり取りはできています」
「そうなんですか!それはすごい」
この状況で通信までこぎ着けたことについて、豊田は純粋に褒める。すべては橋本のなしたことだが、唯斗はそのまま受け取っておいた。
「明日18日の昼12時30分ごろ、ラヴァルヴィル空港に自衛隊機が着陸します。恐らく発着枠の混雑から待機時間は30分程度でしょう」
「明日の12時半ですね」
豊田はすぐにメモを取る。唯斗は様子を見て話を続ける。
「我々は、民間の邦人を全員回収し、明日の朝、全員で一緒に出発する予定です。しかしながら、大使館のキャパシティーは上限いっぱいなので、皆さんを今日大使館に収容することは難しい状況です」
「そうでしょうね。我々もそこまで厄介になるつもりはありません。バンのガソリンも空港までなら保ちそうなので、我々5名は自力で向かいます」
「こちらには警備もいます、可能であれば明日の朝一に大使館に来てもらって、一緒に行きましょう。こちらは明日朝8時半までには出発します。それまでに皆さんが合流できなくても出発しますので、お互い、8時半に大使館で集合できなければ各自で空港に向かう形でどうでしょうか」
「異論ありません」
さすが、経験豊富なJICA職員だけある。落ち着いた様子で了承してくれたため、これでJICA職員5名の退避の算段はついた。
あとは残る12名の邦人を回収するだけである。
話を終え、「それではお気をつけて」と互いに言ってから、唯斗はリチャードとともにビルを出る。
外に出て公用車に乗り込もうとすると、市内が少し騒がしいことに気づいた。市内南部の方からだ。銃撃戦の音が聞こえてくる。
「…どこかの勢力が橋頭堡を築くために本格的な行動に入ったんだな。前哨戦、ってところか」
「俺もそう思うぞ。広範囲での戦闘にはならないが、場合によっては空爆があるかもしれない。急いで戻ろう」
市街地の建物に音が乱反射する複雑な銃声の響き方は、市街戦独特のものだ。やはり明日には、ラヴァルヴィルは戦場と化すだろう。