サヘルの夜明け−57


急いで大使館に戻ると、3人はそのまま車を乗り換える。先日、自動車メーカーから貸与してもらったバンだ。
すぐに大使館を出ると、昨日決めてあった通りのルートで回収に向かう。銃撃戦が発生したからか、市内に残っている人々が不安そうに外に出て情報交換をしていた。車の数は少し増えており、戦闘が起きた地区から逃げてきたのだと考えられる。

西の4区から回収を始めるため、ラック通りという通りを西へ走る。ラック通りは日本大使館が面する通りの名前で、10月2日湖とゴルコ湖という2つのため池をつなぐようにしてまっすぐ走る道だ。ラックとはフランス語で湖を意味する。

車で走ること15分、最初の世帯に到着する。

リチャードとともに車を降りて、比較的高級なアパートに入る。エントランスは開け放たれており、階段を上がって目当ての部屋にやってくる。

インターフォンを鳴らし、扉もノックしつつ日本語で呼びかける。


「日本大使館です!佐久間さん!いらっしゃいますか!」


日本語だったからか、すぐに扉が開かれた。中から、怯えた様子の30代の男女が出てくる。


「外交官の雨宮です。急で申し訳ありません、皆さんを大使館で保護しています。ただちに荷物をまとめてください。一人15kg以内でお願いします。10分後に出発します」

「は、はい…!」


保護しに来た、ということで安堵を浮かべたが、10分で荷物をまとめろという無茶な指示に、二人は慌てて室内に戻ってバタバタと準備を始めた。リチャードが扉を開けたままにしているのは、何かあったときに備えてのことだろう。
廊下は外廊下であり、4階のため手すりの外からは街並みが見渡せる。リチャードは通りの様子などをじっと注意深く見つめていた。


「パスポート持った?!」

「俺が持ってる!財布とあと充電器!」

「待ってスマホどこ!?」


室内からは二人の慌てる声が聞こえてくる。本当はこんな夜逃げのような形で住み慣れた家を離れさせたくはなかったが、どうせ退避にあたってはみんな大したものは持って行けない。15kg以内となれば、かなり軽量だ。

すると、空気を切り裂く音が一瞬で近づき離れていく。その音を聞いた直度、リチャードは唯斗を抱きしめて、廊下の手すりの影に引き倒すように隠れさせた。
直後、手すりの向こうに茶色い煙が立ち上り、その瞬間、耳をつんざくような爆音と、爆風が吹き付けてきた。室内からは佐久間たちの悲鳴が上がる。

街からも遅れて悲鳴が聞こえ始め、男たちの怒号も聞こえてくる。立ち上がって見下ろすと、1キロほど離れた場所で黒煙が上がり、建物が倒壊しているのが見えた。衝撃こそすごかったが、威力からすると建物1つを狙うピンポイント爆撃だ。橋頭保を築く勢力がいたのだろう。
リチャードに抱えられたままだったため、ついそのシャツを握る。リチャードは唯斗の耳元で「大丈夫」と囁いた。


「小型のミサイルによるものだ。精密攻撃のためだから、広範囲を爆撃するものじゃない。ここは大丈夫だろう」

「…、分かった」


唯斗は息をついて離れる。ちょうど、スーツケースを持った佐久間夫婦が出てきて、黒煙が上がる様子に愕然としていた。


「そんな…つい先月までなんともなかったじゃない…」


妻の震える声に、夫が肩を抱き寄せる。唯斗は「行きましょう」と二人を促し、地上階へと階段を下りる。妻のスーツケースを持ってやりつつなるべく早く階段を駆け下りると、すぐバンにスーツケースを詰め込み二人を後部座席に乗せてから車は走り出した。

その後も夫婦2組を回収し、合計6人を乗せたバンは、一度大使館に戻った。これで離れている世帯は回収済みとなる。
さらに、1区で暮らしていた独身男性1名が徒歩で避難してきたということで、唯斗がいない間に招き入れられており、残るは単身3世帯と夫婦1世帯で5名となる。

残りは1区と2区のため、さすがに爆撃はないだろう。爆撃自体、滅多に起こっていなかった。基本的には銃撃のみである。

再びバンは大使館を出発し、各世帯を回っていく。時間が経過し夕方に近づくにつれて、市内での戦闘はあちこちで散発するようになっており、中心部も例外ではなかった。
時折、戦闘があった個所を通るため、道端に死体が転がっているのを見かけるようになったのだ。もはや遺体の回収など行われない。そのまま放置された遺体の数々に、来るところまで来たな、といった状況だ。

そうして、男性3名女性2名を保護して大使館への帰路についたときだった。


「唯斗さん、検問です」

「またか。この辺でも戦闘があったんだな」


一気に検問が増えており、今日だけでこれで5度目となる。
政府軍の検問であり、いつも通り、唯斗はスライドドアに面した座席から窓を開けてパスポートを見せる。しかし兵士は受け取ろうとしない。バンに銃口を向けたまま、唯斗が差し出すパスポートを受け取らなかった。見せるだけ、というには、門が開く気配はない。
ニヤニヤとして、兵士は右手の親指と人差し指をこする仕草をする。唯斗はため息をついて、いくらかのドル札を挟んで差し出した。少しだけドルをはみ出させているのを見て、兵士はようやくパスポートを受け取り、中を確認してからこちらに返す。札は抜かれていた。
ようやくバンが通されると、唯斗はまた大きくため息をついて窓を閉じる。それを見て、唯斗の前の助手席に座るリチャードも呆れたようにしていた。


「政府軍がああいうことするようになったら終わりだな」

「そうだな。もう、この国はダメだろうな」


ここまで来てしまったら、もはやこの国は立ち直れない。ここまで人心が乱れた国は崩壊するほかなかった。

バンはゆっくり進みだす。渋滞しているのかと正面を見ると、戦闘があったばかりなのか、道路脇に兵士たちが無造作に死体を並べており、家族を探しに来たのだろう女性たちが泣き叫びながら並べられた遺体の合間を歩いていた。


「…皆さん、窓の外はなるべく見ないでください」


唯斗の言葉に察した女性たちが目を閉じて顔を伏せる。車の外から、泣き叫ぶ母親や妻だろう人たちの声を聴いて、若い女性がすすり泣いた。
女性たちは多くがヒジャーブをしており、中には黒い保守的なヒジャーブをしている女性もいる。

するとその遺体の中に見たことのある顔を見つけて、唯斗は文字通り呼吸が止まった。
息を飲み、窓からその男の遺体を見つめる。それは、数日前に大使館を出ていったマリックだった。マリックの遺体には、妻だろう若い女性が縋りついて泣いており、まだ状況を理解していないのだろう幼い子供がマリックのそばに座り込んで動かない父親を不思議そうに見ていた。

ゆっくり息を吐き出し、視線を逸らす。夫を亡くした若い未亡人と幼い子供がどんな目に遭うか、想像に難くない。

そうしてバンは大使館に到着し、これでようやく、すべての民間邦人の収容を完了した。
大使館に戻ってきたときには17時になっており、なんとか夕方までに戻ってこられた形だ。

新たに収容した人々への案内を、先に来ていた日本人に依頼しつつ、17時半に大使館ロビーに集まるようお願いした。明日の説明をするためだ。
リチャードは配置に戻り、ウマルも自室に戻っている。日本人たちのあとは現地人を集めて同じことを行う。

そしてきっちり17時半、20名の民間人と加奈子と美紀が大使館のロビーに集まった。広くもないロビーはさすがにいっぱいになり、限られた椅子には誰も座っていなかった。



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